アイルランドのアルファベット


ダブリンの街中でも時々見かける、アイルランド語独特のアルファベット。大学の古アイルランド語の先生はこれを説明する時いちいち、「ラブリー・カーブ」とか「ラブリー・フォーム」とかいってラブリー連発するのだが、普通のアルファベットを見慣れた目からすると、読みにくい文字がいくつかあって、これが並んでいると困惑する。
不勉強なことに最近知ったのだが、この文字は実はほんの30年ほど前までは使われていたらしい。少なくともセカンダリー・スクール(日本の中学・高校に当たる)では、アイルランド語の授業の際、1970年まではこの文字が使われていたそうだ。ドイツのヒゲ文字でさえ、ナチス時代に廃止になったというのに。
この文字の特徴は、早くとも6世紀から始められた写本の文字をそのバックグランドに持っていることだ。面倒くさいのでアイルランドに文字文化がもたらされたことと、それ以前の大陸における写本の文字の形に好いては省略するが、本来は大陸とそれほど違った形ではなかった。ただ、9世紀に大陸ではシャルルマーニュの元、写本の文字の統一化が図られたのだが、その版図の外側にあったアイルランドはその波を被らず、それまでの文字の形を継続して使用しており、これは一部の例外を除いて出版の際のフォントにまでなっていったのだ。つまり、このやや読みにくい文字は、初期中世以来少しずつ、しかしそれほど変化せずに現代まで使われ続けた「写本の文字」であるのだ。
さすがに多少の影響は受けていて、大文字のsなんかは完全に今使われている形とほぼ一緒だが小文字の方は、写本と同様にrとsの区別がつきにくい形になっている。dやgなんかは明らかに中世からとほとんど変わっていなかったりする。ちなみに、初期中世の時代は、アイルランドだけでなく大陸も、大文字はほとんど使わず、ほぼすべて小文字で書かれている。参考までに、『ケルズの書』の文字を以下に貼る。これはラテン語で書かれてあるものだが。

アイルランドって特殊」といわれるとなんかちょっとむかっ腹が立って、「特殊ではなく、ヨーロッパの各地域に渡ってみられるバリエーションの一つに過ぎません」と返答してしまうわたしであるが、こと文字に関しては「特殊」といっても良いかもしれない。だいたいなぜ70年代までこの古めかしい文字が使われていたかというと、この文字じゃないとアイルランド語が読みにくいから、という理由だから凄い。つまり、英語の文とアイルランドの分が混ざっている印刷物なんかは、英語の部分は普通のアルファベットで、アイルランド語の部分はこの特殊な文字で印刷し分けていた訳なのだ。一時は政府が、「別々のフォントを使うのは不経済なので、他の言語とおんなじフォントに汁!」と決めていたのに、元に戻ってしまったってことは根強い反感があったのだろうね。おそらく「伝統を守るウツクシイ国(笑)」的、というか(あるいはまさにそれ的というか)、政治的な理由もあったんだろうかと思う。
ちなみに北アイルランド紛争が激しいテロ合戦になり始めたのがちょうどこのころだ。