宮城谷昌光や中二病満載のラノベとか

「主人公最強」的軽いものが読みたくなったので、「魔法科高校の劣等生」を読んでみた。噂通りの「主人公tueee」ではあるが、やや文章が独特で特に会話において誰が話しているのかがつかみづらい。会話文の後ろに誰が話したかが書いてある書き方を見たのは、初めてかもしれない。かなり特徴のある話し方をする人もいるので、特に後から誰が話したか説明してくれなくてもいいなぁ、と感じた。会話部分がつながっておらず、「 」の中で段落変更するのになれるのはかなり時間がかかった。これも初めて見る書き方だ。また、ラノベの、ラノベゆえんのこととして仕方がないのかもしれないが、「ここ! この部分重複線だから! 大事なことなので本文中に何度もちらばせてあるから、忘れないようにしてね!」がややうるさい。
批評文としては正しくないだめ出しからスタートではあるが、上記の会話における問題を除けば、テンポも速いし、さくさく読めてしまって、二冊を1日で読み終えてしまったときは、ちょっとお金がもったいなく思った。
宮城谷昌光も基本的には地の文は長くないし、会話文は誰が誰にどう話したか書いてないが誰の台詞かは自然に分かるし、無駄を極力削った感じでこれも非常に読みやすい。はじめに商(=殷)による夏に対する革命を主題としてものを読み、次に周による革命時の商(=殷)側の重臣を主人公としたものを読み、どうせ持ち歩くこともないだろうと周による革命時の大主人公である『太公望』を呼んだ。『太公望』だけ文庫ではなく単行本だったので持ち歩く気にはならなかったので、読み返しを避けてしまっていた。いずれもある意味「主人公tueee」ではあるのだが、時に悩み、時に失敗し、他人を頼ったり他人の意見を参考にしたりするので、多少はその主人公補正が薄くなっている。主人公補正があるように見えるのは、著者自身が理想的と思える人物を主人公に据えるからに他ならないのだが。
文字が全くない夏時代から商への変化をこれだけ長大な話にするのはすごいし、文字があったとしても基本的には支配階級の人間しか使用しなかった商から周への変化についても同様だ。資料にしても同時代のものはなく、過去に書かれた、しかも現存しないものであったりするので、ほとんどの部分が歴史の流れの中という制限かにおける想像に過ぎないのだが、あり得ただろう話として作り上げる力は見事だと思う。
相変わらず終わり方の淡泊なところが個人的にはちょっと残念なところか。