後宮に月は満ちる

後宮に月は満ちる 金椛国春秋 (角川文庫)

後宮に月は満ちる 金椛国春秋 (角川文庫)

一巻目で少し疑問だったところが、ここでしっかりと設定として使われていたのですっきり。つまり、宦官の暗躍(敵側も味方側も)。後は、すべての女官の一族が排除されてはまったくいないことも。
年齢的にぎりぎりの少年は、いまだ解放されず。その辺の解決が3巻目に来るらしい。

後宮に星は宿る 金椛国春秋

後宮に星は宿る 金椛国春秋 (角川文庫)

後宮に星は宿る 金椛国春秋 (角川文庫)

中華風ファンタジー
国を乱さず、滅びを回避するために、皇后の外戚をすべて、崩御した先帝の墓地に埋めることで族滅をなす、という設定は、初めは、「ほー、おもしろい。楊貴妃も一族の登用で政治が乱れて安禄山の乱が」とか、「後漢の後期から末期もそういえばそうだったか」と単純に思って読んでいたが、母后(限定の実母ではなく、先帝の皇后)が権勢を振るっているところが読み取れて、よく考えると国が乱れるのは母后と外戚、というより佞臣化した宦官のような、と思ったら、設定的にはちょっと弱い、という感想となってしまった。漢を最終的に滅ぼしたのは宦官の養子の曹操だった。
年齢的にぎりぎりの、女装の病弱箱入り貴族の次男坊が、すべてに気づいた感のある屈折した宦官の策略に乗りつつ、族滅させられた一族の再興にたどり着くか、という話の結末はとても気になる。ちょっととんとん拍子に進みすぎている感はあるが。

烏に単は似合わない

烏に単は似合わない 八咫烏シリーズ (文春文庫)

烏に単は似合わない 八咫烏シリーズ (文春文庫)

和風宮廷ファンタジー、宮廷というよりも、王子の心をとらえる若い女性たちの争いと、友情と、愛憎劇、というきゅんきゅんものかと思って読んでいたら…。
最初の2ページを後半になるにつれて何度も読み返す。そして気がつく作者の意地悪な意図。
設定が凝っているファンタジー好きとしては、舞台設定はまことに好みの作品。
語り手のキャラは、萩尾望都のマンガに出てきそうなタイプ。あー、どこか既視感のある怖さ。

カトリック教会が既婚男性を司祭にするかもしれない

遠隔地で司祭が不足している場合に限り、ということらしいが、あれほどグレゴリウス7世が批判し、その後の流れとして数百年かかって教会人は未婚者に限るとしていたカトリックに新たな時代が。


Pope Francis has said in an interview published today that the Catholic Church may consider ordaining married men who could potentially then work in remote areas faced with a shortage of priests.

"We must think about whether viri probati are a possibility," Francis said referring to older, married men who are already involved in church business.

"Then we have to decide what tasks they can take on, for example in remote communities," he added in the interview with German weekly Die Zeit.

Many in the Church believe, given the lack of priests in many places, that a new path to ordination should be opened.

They think that in addition to priests who take a vow of celibacy, older, married men with a long commitment to the church could also be considered.

Pope Francis said in May 2014 that "there are married priests in the Church" citing married Anglican ministers who joined the Catholic Church, Coptic Catholics and the priests of some Eastern churches.

The Church, and notably the current pope's predecessor Benedict XVI, had previously said that celibacy was not a matter of inflexible Church dogma unlike, for example, the resurrection of Jesus Christ.

However, Francis said allowing priests in training to choose whether or not to be celibate was "not the solution".

http://www.rte.ie/news/2017/0310/858696-pope-francis-priests/

宮城谷昌光や中二病満載のラノベとか

「主人公最強」的軽いものが読みたくなったので、「魔法科高校の劣等生」を読んでみた。噂通りの「主人公tueee」ではあるが、やや文章が独特で特に会話において誰が話しているのかがつかみづらい。会話文の後ろに誰が話したかが書いてある書き方を見たのは、初めてかもしれない。かなり特徴のある話し方をする人もいるので、特に後から誰が話したか説明してくれなくてもいいなぁ、と感じた。会話部分がつながっておらず、「 」の中で段落変更するのになれるのはかなり時間がかかった。これも初めて見る書き方だ。また、ラノベの、ラノベゆえんのこととして仕方がないのかもしれないが、「ここ! この部分重複線だから! 大事なことなので本文中に何度もちらばせてあるから、忘れないようにしてね!」がややうるさい。
批評文としては正しくないだめ出しからスタートではあるが、上記の会話における問題を除けば、テンポも速いし、さくさく読めてしまって、二冊を1日で読み終えてしまったときは、ちょっとお金がもったいなく思った。
宮城谷昌光も基本的には地の文は長くないし、会話文は誰が誰にどう話したか書いてないが誰の台詞かは自然に分かるし、無駄を極力削った感じでこれも非常に読みやすい。はじめに商(=殷)による夏に対する革命を主題としてものを読み、次に周による革命時の商(=殷)側の重臣を主人公としたものを読み、どうせ持ち歩くこともないだろうと周による革命時の大主人公である『太公望』を呼んだ。『太公望』だけ文庫ではなく単行本だったので持ち歩く気にはならなかったので、読み返しを避けてしまっていた。いずれもある意味「主人公tueee」ではあるのだが、時に悩み、時に失敗し、他人を頼ったり他人の意見を参考にしたりするので、多少はその主人公補正が薄くなっている。主人公補正があるように見えるのは、著者自身が理想的と思える人物を主人公に据えるからに他ならないのだが。
文字が全くない夏時代から商への変化をこれだけ長大な話にするのはすごいし、文字があったとしても基本的には支配階級の人間しか使用しなかった商から周への変化についても同様だ。資料にしても同時代のものはなく、過去に書かれた、しかも現存しないものであったりするので、ほとんどの部分が歴史の流れの中という制限かにおける想像に過ぎないのだが、あり得ただろう話として作り上げる力は見事だと思う。
相変わらず終わり方の淡泊なところが個人的にはちょっと残念なところか。

奇貨居くべし・春風編、瞳の中の大河

緊縮財政につき再読。

奇貨居くべし―春風篇 (中公文庫)

奇貨居くべし―春風篇 (中公文庫)

秦の宰相となった呂不韋の少年時代。
愛と知識に飢えた大商人の息子として描かれている。言えに居所がないからか沈思黙考する見目麗しき少年であり、自らと周囲とのことがらを良く分かっている。史料が鳴くよく分からない人物の内面を詳細に述べながらダラダラしないのは宮城谷の特徴かな。知略を働かせるところが早く見たい。


瞳の中の大河 (角川文庫)

瞳の中の大河 (角川文庫)

愛と憎しみに複雑に絡め取られた主人公の、それでも愛と正義(理想としてのだが)を貫こうとした生涯。「内戦が終わり、誰も圧砕に苦しまず、みんなが小さな幸せを噛み締めて生きること」だけを求めて、それでもきれい事ではすまないことも分かっていながら純粋に目的に向かい、自らの命を捧げたかのような人生。
海を知らない二人のほんの一瞬の邂逅によって生まれた娘が、ついに海にまで達した、というエピローグにぐっときた。

宮城谷版三国志

全十二巻読了。
残念なことは、宮城谷昌光による個人を主人公にした小説による、その個人の心情の細かな描写が非常に少ないこと。ただでさえ淡白な彼の筆が、より淡白になって時々に現れる登場人物たちについてが、単なる紹介で終わってしまう感が多かったことか。
宮城谷はおそらく曹操を一番書きたかったに違いないと思わせるほど、曹操の人物造形は多かった。おそらく彼が全巻の中で最も徳と義を兼ね備えた人物だったからだと思う。その次に諸葛亮が彼にとって好ましい人物だったかと思われるが、それでも曹操に比べれば〜、という意図が読み取れなくもない。
できれば「曹操伝」とかにしても良かったのでは亡かろうかと。
劉備の人物像を描くのがもっとも難しそうであった。老荘思想的、とか、何事にも囚われない、といわれても、結局のところ感情に突き動かされて前後関係を考えない人物だな、としか思えなかった。国家形勢を自らの身体的には理解できなかった人物。
それでも晩年でそれまでの人間性を覆さなかったのは劉備で、曹操も最後は頭が固くなり、孫権に至っては国家の礎を崩す寸前にまでもうろくしてしまった。
結局三国時代とは、三国鼎立なんてものではなく、後漢王朝末期からの政治的社会的混乱期が続いていただけの時代にしか見えなかった。これが隋成立まで、あるいは隋も短命王朝なので唐まで続く混乱の400年間の一時代だったのかもしれない。
しかしなんで三国志は大人気なんだろうか。