高二病だった自分へ

栗本薫が亡くなったそうだ。ヤバイヤバイというのは知っていたが、もうずいぶん前に見切りを付けた作家であったから、そうなったらそうなっただな、と思っていたが、知ったとき結構ショックを受けた自分にショックを受けた。

グイン・サーガしか読んだことがなく、SFは一瞬だけ気になったが結局読まず、彼女のジュネ系(JUNEと言う雑誌を知ったのも彼女の後書きからだった気がする)は全く知らなかったという意味では、どっぷりはまった人たちとはきっと違うタイプの読者であったと思うが、中高時代の彼女に対する憧れは、いまとなっては消してしまいたい思い出だ。
SFも書くし、探偵ものも書くし、更に別名義で評論家でもあり、それで賞も獲り、更に当時の日本では珍しかった骨太の「ヒロイック・ファンタジー」を百巻で書ききる、というところにひかれて読み始めた。その時考えていたことは、百巻という膨大な巻数で収まるべくしっかりとプロットを考え、計画立てて書き出す、なんという快挙、というものだった。その上芝居を演出し、その音楽も作曲し、バンド活動も行う女性作家、というイメージは、万能感が現実に飲み込まれつつあった高校時代の自分にとって、自分では望むべくもない、本当だったらやってみたかった万能の女性であった。当初は1巻の問題は、作家としてのこだわりから起こったことであったと思っていたが、今考えてみれば、作家としてはあまりにも想像力を欠き、そして非常識であることが引き起こしたことだったのかもしれない。それでもその時はそれがまたかっこよいと思ってしまっていたのだ。


見限ったのは73巻の『地上最大の魔道師』(2000年7月15日発行)。大学時代一時読むのを止めたあと、なぜか覚えていないが20巻近く一気に再開して、わりとつい最近まで読んでいたことに驚いた(失恋して現実逃避するために再開したような気がしてきた)。ここで読むのを辞めた理由は、漢字の不統一が目に付き始めたこと(校正らしき仕事をこれ以前にしたことで目に付くようになった)、一文が異常に長い上に主部と述部が繋がっていない文が多く目に付いたこと、そして後書きで(この巻ではないかもしれないが読み返す気もない)百巻では終わらない宣言が出されたこと。それ以前にも後書きに顔文字が多発したり、(笑)、(爆)という文字が連発されたり、自分の作品の登場人物萌を書き連ねたり、ずいぶんと白けた気分にされたが、それでもこんなところまで読んでしまっていた。最初期の話は何度か読み返したので覚えているが、主人公が本編から何巻も「失踪」して外伝になってしまったりしたあたりで単なる流し読みになってしまった。その後は本屋で「まだ出てるよ」と時々裏表紙の話を読んでもう訳が分からなくなっていた。
作家としての彼女への愛は読むのを止めた時点よりも前、おそらく最初に止めた時点で失ってしまっていたのだが、それでもやっぱりショックだったのは、30をすぎて相当たった自分にとっては、あの痛くて寒々しい自分の中高時代がやっと微笑みを以て思い出せるほど年を取ったからなのかもしれない。


いろいろやっちゃった感の多い作家であったことは最近いろいろ知ったが、それでも五十代でなくなったのは本人にとっても短すぎたことであろう。故人にはご冥福をお祈りし、最終的に栗本薫から卒業する。
レムスには暗黒な王様になって欲しかったし、ヴァレリウスには根暗でありながらさえた頭の宰相になって欲しかったし、シルヴィアには悲しい理由で売国妃になって欲しかったし、リギアには幸せになって欲しかったし、マリウスとタヴィアには細々とだけど幸せな家庭を営んで欲しかったし、リンダには毅然としたお姫様のままでいて欲しかった。そしてイシュトヴァーンには、自ら信じるものをすべて切り捨て、孤独だけど知略のみで成り上がる最強の王になって欲しかった。グインには、自分の正体を知って、すべてをまとめて欲しかった。その花嫁を見たかった。ホントにさようなら。