人間の運というものは定量があるのだろうか?

幼児のころ、ものすごく運が強かった、らしい。特に引く系が。
なにかのくじを引いたりする時は、家族にその大役を任されていたような気がする。
そんな「神童」も年を取ればタダの人、と気が付いたのは悲しいかな中学のころだったような。
もうすでに使い切ってしまったかのようなくじ運のない人間になっていた。


近所に新しくできた生協では、時々日曜日にくじ大会を行っている。
その前の一週間に二千円以上買うたびに一枚、くじ券をもらい、
日曜日にくじを引いてくる。たいてい日曜日に買い物には行かないので、
生協ができて3ヶ月ぐらいになってはじめて引いてきた。
二枚。
参加賞はおきまりのポケットティッシュ
なにかと物価の上がる今日この頃、ティッシュも重要、と引いてみた。
「がらんがらん」と大きい鈴を鳴らされ、「四等で〜す」と言われた。
箱を指さされ、その中から何か一つとれ、と指示される。
菓子が入った箱だ。
生協印のねじり揚げをもらう。「うわーい、儲かった」と思った。
生協を出た。自転車に乗ろうとした。ふと思った。


なんか運を無駄に使った気がした、と。



そんな、ネガティブな思考になり梅雨時、そして思いっきり厄年のわたし。
あ〜、なんかこう、何もかもうまくいかないというか集中できないというか、
わたしはいったい何がやりたいんだろうねぇ、墓でいいんだろうか。
なんで墓なんかやってんだろう?