Brown, Peter. The Cult of the Saint

The Cult of the Saints: Its Rise and Function in Latin Christianity (The Haskell Lectures on History of Religions)


今更ながら基本的文献読了。とりあえず英語表現が難しい。これだけ英語を読んでいるにもかかわらず苦戦した。


アイルランドの場合は、ということを考えながら読んだので、余計時間がかかったのかもしれない。ローマ文化、特に都市の不在が、アイルランドにおける状況を考える時の問題となるのは分かっていたが、アイルランドでの状況を常に頭の片隅に置いていないと、違う地域の、違う文化の中における問題で、とりあえず関係ないから、とペラペラ読み進めてしまうおそれがあったので、そこだけ注意した。
そのあたりについては今のところ纏められないし、この先、使えるかどうか分からない。個人的に面白かったのが5章で、聖遺物(問題なのはfragmentと書かれていること。これだけ読むと「骨のかけら」もアリのような気がしてしまうが、McCulloh*1とDohertyの論文*2によれば、9世紀になるまで、西ヨーロッパでは「死体」の分割は、それがたとえ聖人のものであろうとも、多少の例外はあるがほとんど行われていなかった、ということで、この場合例外的なものなのか、聖人の髪や墓にしばらく置かれた布、brandeaなのかよく分からないこと)を新たに街に迎え入れ、その際に盛大な「入市式」のような儀礼をおこない、その後その聖人の祝日だけでなく、迎え入れた日にも祝祭を行うが、それが、司教やそれと繋がる都市の有力者たちにとっては、ローマ帝国の衰退によるその他の地域との離別感を埋め合わせ、他のキリスト教世界=ローマ帝国とのconcord(一体感)を感じ取るものとして働き、その他の都市の住人にとっては、そのコミュニティの一体感を強めるものとして機能している、というもの。この際に、聖遺物、すなわち聖人の存在(praesentia)によって特に「悪魔付き」状態を癒された人々も、自分のコミュニティに戻ることができ、更にその一体感が強められる、という機能も果たす。


聖遺物への信仰は、単に「聖なるもの」へと人々が引き寄せられるといったものではなく、個人と個人、ある種の身分とある種の身分、グループとグループ、地域と地域のコミュニケーションに果たした役割が、非常に大きいということが、自分の能力で読み取った(とれたと思うのだが・・・)収穫、といったところか。最初期にはプライベートのものであったある種の聖なる人の「墓(含む、遺体)」が、コミュニティのものとなった時、そこから今現在にまで続く聖人崇敬へと発展したのであるから。
ブラウンは何度も何度も、キリスト教による異教(pagan)文化の単なる吸収であることを否定する。それは土台となったものではあるが、陳腐な「異教の多神教キリスト教に入った結果の聖人崇敬」という言説を慎重に否定しているが、それにはまったく同意であるが、この本が出たのが80年代であることを考えると、慎重すぎるというか、よく分からないが当時もそういう説が根強かったのだろうか、とちょっと疑問に思った。そういう意味では、やはり教科書的テキスト、と言えるのかもしれない。そんな教科書を今更読んでいるわたしって・・・。

*1:"The Cult of Relics in the Letters and 'Dialogues' of Pope Gregory the Great: A Lexicographical Study", Traditio, 32, pp. 145-184, 1976

*2:"The Use of Relics in Early Ireland", P. Ní Chatháin & M. Richter (ed.), Irland und Europa: die Kirche in Frühmitteraltes, Stuttgart, pp. 89-101, 1984