relic-cult

先々週から、未だにネットが繋げない状態が続いているが。


今月に入って考古学関係の論文を読み漁る。半分ほどは直接使えないもので困ってもいるが、それでも「骨盤」とか、「腐葉土」とか、今まで触れたことのない単語に接する機会を与えてくれた。(だからなんだ、という気もするが。)
そうこうするうちに、いつのまにやら自分の興味がreli-cultに移行しつつあることに先日気がついた。しかもそのrelic、すなわち聖遺物は、そのものズバリの骨で、二次的、三次的聖遺物*1ではない。
なぜかというと、私が研究している時代が、それまでの伝統的な氏族の墓地埋葬から、教会墓地への埋葬への移行期だからである。すなわち、それは「聖人のそばでの安眠、復活」を約束することであり、アイルランドでは(初期中世ヨーロッパでは、といっても間違いないだろうが)聖人のまさに墓、文字通り遺骨=聖遺物のそばに埋葬されることを意味するからだ。しかし、この時期(8世紀)に教会側が強く主張するだけで、それまでの埋葬地を変更することが、それほど簡単だったのか、という問題もあり、そうすると聖遺物崇敬の始まり、という問題が大きく関わってくるのだ(と思う)。
大きないくつかの教会/修道院では、トランスラツィオを敢行しているのだが、アイルランドでは基本的に、小さな教会/修道院では、典礼の場と、聖人の遺骨の場は別のままで、聖人がまさにその「土」に眠っていることが重要視されていたようである。実際に、「ローマから、聖ペテロの眠っているその場所の土を持ってきて、教会地に蒔いた」という記述が、聖人伝にも見られるようだ。
まあ、大陸やイングランドとは多少違う、聖遺物崇敬があった、というわけで、これの背景にあるのは、多分、偉大なる人物(聖・俗関係なく)の墓地の意味するところが、アイルランドではキリスト教以前から大陸とは違っていたから、なのかもしれない。


自分の頭の中にある聖遺物崇敬に関する情報は、異常に(これだけにかかわらず、恥ずかしながら中世全般に関する知識も言わずもがななのだが)少ないので、今から読まなきゃいけないものがひょっとして格段に増えたのかも、と思うと、今年1年で修論がかけるかどうかかなり不安。でもこれ以上、こんな学費払い続けられないし。とりあえずアリエスを読まなければ。で、ブラウンか。こっちは英語しかない・・・。


死を前にした人間
死と歴史―西欧中世から現代へ
The Cult of the Saints: Its Rise and Function in Latin Christianity (The Haskell Lectures on History of Religions)

*1:この表現は、普通に使われるものだろうか。論文いくつかで散見したのだが。