国旗と国歌

小泉首相は22日、国歌斉唱などを教職員に義務づけた東京都教育委員会の通達を憲法違反とした東京地裁判決に関連して、「社会人になって国歌も歌えない、国旗に敬意も表せないのは外国で変に思われる。個人の考えも大事だが、社会性、協調性がいかに大事か、どういうことに敬意を持って接するかという教育は大事だ」と述べた。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060922ia21.htm


いや、国歌が歌えることと、国歌斉唱を強制するという意味で「義務づける」ことは違うんじゃないか、という、小泉首相の上手な「論理のすり替え」をまた拝見できたわけで。
しかも国歌、国旗って、いつのまにやらごり押しで法律化したんじゃなかったっけ? 
社会人になったら、自らが、歌うべき時、歌いたい時を判断して、歌えればいいのではないのか? 
誰かに強制された「べき」というものに唯々諾々と従わなければならないことこそ、社会人としての、自ら考える力を阻害するわけで。
国旗に敬意を表すのも、表したい時に、自らが表すべきと考える時に表わせられればいい、と拙は考えるわけだが、違うのだろうか? 
外国で変に思われる、変に思われてもそれなりに理性的な理由があって、それを表明できればいいではないか。
で、結局は「社会性・協調性」の名の下に、押さえつけようと。何が「個性を大事にする教育」だか。
卒業式で社会性・協調性を見せたいなら、なにも国歌でなくて、「あおげばとおとし」とか、「蛍の光」とか、それこそ校歌とか、その場にマッチした歌をみんなで歌うことでも示せるじゃないですか、と。


外国人の目がそんなに怖いか、そうかそうか。君はまだ鹿鳴館時代を生きている訳なのですね。

また、教師の対応について、「(国旗国歌への態度など)礼節の問題について、はっきりとした態度を示さないことの方が問題だ」と批判した。首相官邸で記者団に語った。


はっきりとした態度で「歌わない」とした訳じゃないのか? 
G8とかで変にはしゃいでいるような首相に、「礼節」を説かれましても。


しばらくネットのできない環境にいたが、異常に気になる記事だったので、勉強時間を削減して思わず書いてしまった。批判ありそう・・・。