気分転換の意味を越えてしまった

戦闘妖精・雪風(改) (ハヤカワ文庫JA)

戦闘妖精・雪風(改) (ハヤカワ文庫JA)

グッドラック―戦闘妖精・雪風 (ハヤカワ文庫JA)

グッドラック―戦闘妖精・雪風 (ハヤカワ文庫JA)

アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風 (ハヤカワ文庫JA)

アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風 (ハヤカワ文庫JA)

戦闘妖精雪風シリーズ帰還3冊を通して読んでしまった。1冊ごとに雪風と深井零(少尉→中尉→大尉)との関係性が変化しているのは、神林長平の心境の変化と連動しているのだろうと思う。
「改」では人間を信用せず自らの愛機のみへの偏愛的執着を見せる深井中尉と、それと対照的に戦闘機であることを執拗に思い起こさせる描写が続く。この描写は最初に読んだ時は相当読みにくくて辟易したが、今回読んだ時はなにやらドキドキした。ミリオタになりつつあるのか自分。最後の、中尉を射出して、自らのデータをより高性能の戦闘機に移植し、操縦士のことを無視した機動性をしながら颯爽と基地へと帰還する雪風と、自爆には巻き込まれないようにするため射出されたはいいが重傷のまま捨て置かれてゆく中尉との対象が印象的だった。中尉は見捨てられたと認識している。おそらく作者としても人間と機械との対極の存在を描きたかったんじゃないかと思う。
「グッドラック」ではところが雪風からの中尉へのアプローチがある。雪風は中尉(大尉になってる)を見捨てたわけでもなく、自らの任務のためには人間の操縦士が必要であると認識しているのだ、となる。「改」との大きな違いにちょっと面食らった。それでも「目覚めよ」と働きかける雪風と、それによって昏睡から目覚め、偏愛からおそれを抱きつつもその性能を理解し、雪風の行動原理を理解しようとする大尉の関係性が、機械と人間はある一定の目標のためには対極とはなり得ないことが描かれている。ただ、作者の意図は、この次の「アンブロークンアロー」でより鮮明となったような気がする。
その「アンブロークンアロー」での機械と人間の関係性が、人間が機械の視点を理解することによって「改」とは逆転していることが興味深い。ここでは人間は機械のインターフェースとして使われていることを認識し、それを目標のための一つの方法として認めてしまっていることが大きい。この時点で雪風は実際に文字によって大尉との意思の疎通を図ろうとしている。いちいち「大尉?」と聞き返す雪風が素晴らしい。しかもそれなのに深井零も含めてすべての人間が機械の擬人化を拒んでいるのだから。
「アンブロークンアロー」での、実際の世界は認識によって異なる、という世界観を、最後に地球上に戻ってきてだれか「人間」の答えによって本来の世界を取り戻す展開は素晴らしかった。高性能であり人間よりも遥に高次元のコンピュータを搭載した戦闘機だけではできなかったことが、これであり、人間と機械が互いにその性能と認識を理解しながら協同する姿を描くことが作者の目的であるとしたらば、だが。


何やってんだろう、進ませろよ自分。勉強をよ。