跋扈する怨霊

天皇になると政争で負けても殺されることはなくて流刑と処される。ただしその後割とすぐ死んだりするので地方での侘び暮らしは大変なんだと思う。
基本的には施政者が恐れる怨霊の系譜をみながら、怨霊への対処の仕方、怨霊の性格の変化、仏教思想の影響を、古代から室町にかけて追ったもの。日本最強の怨霊は道真だと思っていたが、崇徳院が最強であることを知った。平安末期から幕末までその影響力は大、らしい。良く考えれば諡号が最強だものね。崇める入っているものね。
政敵の怨霊化を認めることは、自らの権力の正当性が脅かされることになることから、頼朝になるまでは位階を上げたり、墓(御陵)を整備したり、諡号を変えたり(とくに「徳」の字を入れる)あの手この手で霊をなだめるが、どうしようもなくなると寺を建て神社を建てて祭り上げ、仏僧による経典の読み上げを何日も行ったり祭りを行ったりする。それでも収まらないのが普通。そして誰かが死ぬ、という状況から民すべてに関わる疫病の神と変化する。それでも道真は善神化されるわけだ。これが崇徳上皇では起こらない。頼朝以降になると疫病というより世の中の擾乱の原因として、躊躇なく寺や神社を建立する。
御霊信仰、と言うが、すでに霊に「御」を付けている時点で、恐い、ということだ。