愛はさだめ、さだめは死

これも十数年ぶりに。話をなんとなく覚えている作品も、自分の記憶とかなり違っていてものすごく新鮮な気持ちで読めた。
ひどく悲しくなる、人間の存在の底にあるなにか空恐ろしいものを見せている話がティプトリーでは好きだ。
「楽園の乳」の最後に人間であることを毛曲捨ててしまったエイリアンに育てられた青年。
「そしてわたしは失われた道をたどり、この場所を見いだした」の、一人取り残された男が最後にみたものの、救いと見せかけて絶望に終わってしまう結末。
「エイン博士の最後の飛行」の、21世紀の原題においてもまったく古臭くない博士の目的とその貫徹の仕方は、静かな恐怖を呼ぶ。
接続された女」は言わずもがなだ。何度も何度も繰り返し、接続された女がいるのだ、と淡々と地の文で書かれることで感じる狂気と悲哀、悲哀という言葉では表しきれない感情。
「男たちの知らない女」がフェミニズム論争のネタにされるのはよく分かるが、わたしにとっては絶望しきった女のその行動力に驚く。男にはないその見限り方の潔さ、というか。
「断層」が実はティプトリーの中で一番好きな話だ。ものすごく短い話で、途方もない孤独を簡潔に述べてしまっているのが。そして妻の決断を覚えていなかったのだが、この決断の仕方もあまりにも潔い(が犬の話はして欲しくなかったな)。
「愛はさだめ、さだめは死」は結末は予想していたが、イメージとしては蜘蛛と考えて読んでいたが、その母の強さと、喰われながらも愛を感じる黒いの、という結末は恐ろしげなハッピーエンドに見えるから不思議だ。
「最後の午後に」。人のため(しかも自分の家族も含まれる)に死ぬか自分の渇望するものを選ぶか、そしてその結末の悲劇。


説教くさくもなく、ハードさもなく、ただ人の心に巣くうものと世界のありようとを表現したという意味ではSFという括りだけで語って良いわけではないと思った。


まあ、でもしばらくはもう少し軽めの本を読むことにしよう。研究書がある意味重いのだから、趣味として読むものは軽くしないとちょっと疲れるしな。