『メロヴィング朝』

最近やけに喉が渇くのだが糖尿病だったらどうしよう・・・。

メロヴィング朝 (文庫クセジュ)

メロヴィング朝 (文庫クセジュ)

フランス語の日本語訳は慣れるまで読みにくい。フランス語が読めないからかもしれない。
これくらいの文量で網羅的にこの時代のことをまとめてくれる本は取っつきやすい。初期中世の大陸関係を読むと大体カロリングまであっという間にいってしまうので、メロヴィングだけでまとめてあるのも非常にありがたかった。
メモとして。

この時期の修道院の建設は、社会の骨組みや階層序列を、また複雑に絡み合った貴族の集団形成を反映するミクロ・コスモスとして現れる。修道院は、最も有力な者たちの利益となるように、貴族層の親族関係や庇護関係のネットワークを編成し、強化し、そこから新たなネットワークを作り出すのを可能にする制度とみなされていたのである。(p. 82)

メロヴィング王国住民のキリスト教化は表面的なものにとどまり、キリスト教の教義はしばしばしっかりと理解されないままであった。戦争と復讐が住民をして、愛と許しの宗教を受け入れるのを難しくしていた。・・・説教師たちの話を聞いた有力者の改宗が農村住民の改宗を引き起こし、彼ら住民は、古くからの信仰とは言わないまでも、慣行を完全に捨て去ることなしに、キリスト教の教義に参堂したのであった。(pp. 86-7)

だが、土地の主区別を伴う墓地のキリスト教化は、より遅い時期の現象であって、十世紀以前には達成されていない。共同体がそのアイデンティティを汲み取っていた古き墓地の放棄は、墓地の多様化を引き起こしたように思われる。教会のまわりに墓が現れるのと同時に、小規模の墓地が居住地のすぐ近くに広まったが、十分にキリスト教が浸透した地域でさえも、個別の墓は稀ではなかった。(p. 89)

共同体のアイデンティティは、聖なるものや、譲渡不可能な財産の共有のなかにも基礎を置く。中世のきわめて早い時期の文化は、「行列式墓地の文化」と特徴づけられてきたが、これはほとんど正当とは言えない。たしかに、居住地の外にある行列式墓地が初期の段階で、ヨーロッパ北西部において重要なアイデンティティ機能を果たしたことは事実である。このタイプの墓地それぞれが一つの農村共同体に対応していたことも認められる。行列式墓地は一般に、キリスト教化の一部として、ガリアでは七世紀末に、ゲルマニア内陸部では八世紀に放棄された。かくして、いたるところで増加しつつあった礼拝堂や農村教会のなかに、人びとのアイデンティティが根を下ろすことになる。(p. 128)

中世初期社会を特徴づける、公と私、聖と俗、宗教の領域と世俗の領域の相互浸透は、ローマ世界とゲルマン世界、キリスト教徒異教徒の衝突に還元されるものではなく、ローマ=ゲルマン社会の漸次的な変容によるのである。(p. 140)


最後の部分がまさにキモであろう。言葉があるのでだからそこで区切ってはならなくて、その言葉はあくまでも後世の研究者が利便的に付加した言葉であって、後世の研究者がそれに囚われて物事を見てしまうのは、歴史を理解する上では非常に危険である、と。自分のみに翻って考えるように常々気を付けねば。
しかしメロヴィング朝って野蛮だなぁ。身内で殺しまくり。兄弟による相続が普通にあった時代だから、オジによる甥一家皆殺しとか普通。