ナラティブ

物語と歴史

物語と歴史

何と理解の難しい議論! 思わず感嘆文で叫んでしまう。
初めのホワイトの議論が最もよく分からなかった。その後の彼に対する批判と、それらに対するホワイトの応答を読んでなんとなく分かったような気にさせられたが、最もよく分からなかったのが、歴史的事象の物語化における道徳の働きだ。歴史的事件を語る場合、どのような形であれ(ホワイトは年表をナラティブ的なものとしてはいないけれど、これに対する批判の方が私としては理解しやすいし、実際これを否定されたアイルランドのAnnalsは物語性のないリストとして一蹴されてしまう)、そこには物語という形式が生まれてしまう、というのは至極理解できるのだが、そこに入る「道徳」というものがなんのことやら分からない。日本語の道徳と、ホワイトの使っている道徳(moralか?)の意味に祖語が生じているから何だろうか。これは読み手の常識を考えたうえでの物語化、ということなのだろうか? すると常識、というのが道徳?


うーん、ばかで困るな自分。プロップを読んだ方が良いのかも知れない。たぶんこっちの方が私としては理解しやすいんだろう。分厚いんだけど。

昔話の形態学 (叢書 記号学的実践)

昔話の形態学 (叢書 記号学的実践)


エーコまで行くべきか? そこまでしたくないなぁ。

物語論―プロップからエーコまで (文庫クセジュ)

物語論―プロップからエーコまで (文庫クセジュ)


Annalsは「年表」と訳すのが良いのだろうか。Annals of Ulsterは「アルスター年代記」としていたのだが、年代記は通常chronicleだよなぁ、という数年来の謎がぶり返した。