根の国におけるヨーロッパ中世史とはなんぞや

根の国、土蜘蛛の住まう地に(今ではなく古代で、と書いておかないとものすごく失礼だな)先週末に行ってきた。大国主命、というより伊弉冉尊に祟られ、大雨ざあざあだった。雨宿りに入ったところがものすごくある意味現代の歪みを見れる場所*1で、一瞬常世にでも迷い込んだようなおもゆきであった。
危うくジュリーに似た長髪の男に声をかけられ、妖しき遺跡に誘われ、トコイトコイと呪詛を浴びせられてグルグル同じところを歩かされる、ようなことはなく、緑萌ゆる5月は訪れるにやぶさかでない素晴らしいところだった。
丘が全部古墳に見える病に罹患する可能性は否定できないが。


第58会西洋史学会の少しばかり感想。留学中だとこういうものがものすごくありがたかったから。
中世史部会
1,中世初期における年代表記の「過誤」とその背景―ベーダ『暦について』(De temporibus)初期写本の問題を手がかりに
写本での年代表記の違い(主として703年と709年の「間違い」に関して)を、単なる書き間違いと見ず、構造的な原因を探る。つまり、年代表記の違い、すなわちAnno Domini(キリスト生誕年を元年とする)と、Anno Passionis(キリストの磔刑を元年とする)という2つの表記方法の並列と、それが前者に一本化されてゆく過程に、その6年の違いを求めるもの。中世初期の、未だ統一化されていない「キリスト教文化」の一端を知ることができた、という意味では興味深かったが、相変わらず大橋さんの研究は難しい。


古代史部会
2,プトレマイオス朝エジプトの採石場遺跡と二言語併用グラフィティ 
採石場に残された、エジプトのdemoticとギリシャ語による「落書き」を元にして、中央ではない、民間でのギリシャ語の浸透が、プトレマイオス2世から3世の時代には進んでいた、という話でいいのかな。「二言語」ということで飛び込んだが、門外漢には時代がいまいち良く分からなくて少々難解。そういえばプトレマイオス朝ってギリシャだったな、中央政府の言語がまるっと変わるっていうことを失念していたな、と終わってから思い出した。


3,碑文コレクター
相当眠くなってしまった。すみません。内容ではなく自分の疲労からだ。碑文というのが現実の政策が書かれたものというのが、碑文といえば墓地、と考えてしまう初期中世からすると新鮮だった、という感想ぐらい。


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4,南仏ビテロワ地方における国王統治の生成
13世紀にフランス王権によって、アルビジョワ十字軍を契機として併合されたラングドック地方での、領域統治、特にヴィギエ管区の物理的差異(広さ)から、国王統治の生成過程を見る、というのが主題。すなわち、カルカソンヌのセネシャル管区内で、カルカソンヌを中心とする地域は非常に小さなヴィギエ管区が複数配置されているが、それよりもはるかに広い西の地域は、ヴィギエ管区一つにまとめられている、という地域差があり、後者には国王による上級裁判権の広がりに対して、それ以前のその特権を所持していた聖俗有力領主がその権益を保持しようとしていた、という政治状況が見える、というもの。このあたりもまったくもって門外漢なのだが、聖俗という割に世俗のほうがまったく話題に上らず、またこれは無関係かもしれないが、土地の性格(山がちとか比較的なだらかな地域とか)は考慮に入れなくていいのか、と疑問は残った。


5,アポルダのディートリヒによる『エリーザベト伝』―13世紀末の聖人伝を考える
身内の発表なので何ともいえないな。数度のプレ発表に比べて、ターゲットとなるものが絞れて良くなっていた。大黒先生による質問が鋭くて、さすがとぐうの音も出ず。世俗の女性、特に修道院にはいることも叶わないような普通の女性たちにとっての、新しい女性像として描かれたエリーザベトの「妻でありその後寡婦となっての献身的生活」ではあるが、そこに通常考えられるであろう「家」との関わりがあったのかどうか、という点。確かに、それが抜けていればやはり「方伯家の未亡人だからできる贅沢としての献身的生活」といった状態に留まってしまう危うさが残る。


小シンポジウム
ローマ帝国衰亡論の現在
食後で眠かったし、コメンテータはレジュメを用意してくれなかったので研究者の名前を出されてもなんだかよく分からず、討論前に退出してしまった。印象は、一言で言うと、「社経史を軽視したピーター・ブラウンの古代末期学説なんてもう古いんです」という、結構ショックなお話。うちに大量にあるブラウンの、未読の本をどうしたらいいんだ〜〜〜。


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2,14世紀ルッカにおける権利をめぐる攻防―裁判記録の分析から
物理的な土地に対する権利(つまり実質的に占有していること)と、文書による権利とのせめぎあいが見られたのがこの時代であり、その争いに介入する法廷の役割の変化と、実際に法廷を牛耳る人々の変化とを見るのが報告の目的。ということで話の流れは文書上の土地の権利の話に進んでいくのかと思っていたが、占有の話に向かって流れていき、段々占有の意味が分からなくなってきてしまった観があった。こちらの知識不足が原因かもしれないが、同じ「占有」という言葉でもこの時代の変化の中で、そのことの意味自身も変わってしまっている、といわれた方が理解しやすい流れになるのだが。不完全燃焼な報告の印象を得た。


と、えらそうに書いたところで、じゃあ自分では満足できる発表をこの先できるのかと言われれば、そんな地震は皆目無いことだけは断言できるというていたらくさ。発表なんて完成したものを見せるのではなく、叩かれ、弄られ、なじられ、プゲラされて、できるだけ完成された状態(決して完成形にならないのが味噌)に近づくためのものなのさ、と開き直って考えてみると、みんなドMなんじゃないかぁ。痛いのがイイ、みたいな。

*1:いわゆるハコモノ行政ってヤツ