文学から読み解くアイルランド史

アイルランドの文学精神―7世紀から20世紀まで

アイルランドの文学精神―7世紀から20世紀まで

副題から見ても分かるように、7世紀の初期中世文学(聖人伝など)から20世紀までの文学史を、俯瞰的にカテゴリー別に見ることによって、その背景に浮かび上がる当時の歴史(特に政治状況とその環境から派生する人々の精神)を見ることができる良書。筆者はアイルランド語言語学的に学んだこともある人で、初期中世の文学は英訳からではなく、言語から翻訳している、という日本では貴重な研究者。

カテゴリー別に、というのは本書の進み方から。
第1部 異界
1章 異界行
2章 予言
3章 土地の記憶
第2部 パロディ
1章 古典遍歴
2章 聖書のパロディ
3章 土着文学の再話
4章 植民地の憂鬱
5章 復活の幻想
終章 屈折した言語のダイナミズム


アイルランドは北西ヨーロッパで唯一、歴史のなかに「ポストコロニアル」時代を含む土地、ということが、ひしひしと感じられたのが第2部以降。12世紀に「アイルランド全土」を意識した作品が作られる(あるいは編纂される)というのは、蒙が啓かれる感じであった。ただし、これもそれ以降の歴史と絡んでくるのだが、外圧があって初めてなされた動き、と言えるかと思う。つまり、イングランド、あるいはアンジュー帝国の存在感の大きさ、あるいは直接的な外圧から初めて、それらとは違う、古い歴史のあるアイルランド、という動き。これ以降、16世紀まではアイルランドノルマン・コンクエストと、それによってアイルランドに入植し、徐々にゲール化していった人々を含めた、初期中世以降の作品をまとめることによってアイルランドの歴史をまとめ、一体化を作り出す動きが見られる。植民地化が激烈に進む17世紀以降は、初期中世以来の文学をパロディ化、表層意識的には改編・捏造することによってそのアイデンティティを構築しようともがき、それ以降は独立の機運を高めるために、英語使用者、すなわち17世紀以降にアイルランドに入植して、イギリス人でもなく、古くからのアイルランド人でもないものたち=英語話者が中心となった、初期中世アイルランド以降の文化をロマン主義と結びつけることによって、イギリスからの差異化を図り、ということが繰り返されている。さらには独立以降(1922年、ちなみにこれとその後の内戦に至る時代は、「麦の穂をゆらす風」という映画でなされている)の狭量な「ケルトアイルランド」という「捏造」の歴史を、自国の歴史とすることによる文化的弾圧、と続く。この動きは、さすがに弾圧はなくなったが、今でもあると思う。ある意味、近代化以前、というところが日本人には気持ちいいのかもしれない、同じ近代化以前の国民であるから。
現在のITバブルが起こる前の、唯一のアイルランド文化の栄光の時代、7世紀を中心とした初期中世アイルランド文化を、なにかと引っ張ってくるあたり、その腐敗臭ただよう様なナショナリズム性が痛々しい。それも、改変、捏造、さらには異言語による運動、というのがまた、悲しさを催す。17世紀以降は、言語と、それに付随する文化を奪われた国民による、言語と文化の再生運動、とも言えるのだが、ベクトルの方向が間違っているので、結局「捏造」と言われてもしょうがないと思う。それが悪いわけではなく、そういう文学史な訳だ。


ひとつ面白かったのが、「ケルト」というものの誕生に、イギリス側の動きが大きく影響した、ということ。つまり、アイルランド人が自らのイングラントとの差異化として生み出したものが、イギリスの「本土」と「植民地」という差異化のために利用された概念であるということ。つまり、植民地地主たちアイルランドに移民したイギリス人は、英語話者でありながらアイルランド人という感覚を持ち、歴史の長いゲール文化を翻訳することによって、アイルランドが文明化されず、野蛮で、文化的でもない、という帝国主義的植民地感を翻そうとした動きがあったが、

そのような活動の素地があったところに、イギリス本国においてケルト民族論という帝国主義の周縁文化論がロマン主義の潮流と重なって力を増してきた。ケルトという概念は、帝国の周縁である植民地を多謝として確定すると同時に、前近代のエキゾチックな土着性を強調し、それを文化的多様性と解釈することにより、ひとつの国家に統合させようとするものであった。(pp 249–250)

インドに行ってその他用で豊かな文化に触れてビックリして、印欧語族という仮説や、人類学を生み出した、帝国主義的ヨーロッパの動きが、現在ではEU加盟国であり、数年前には議長国も務めた国で行われていたわけだ。更に、イギリスから極立するために、そしてその後ひとつの国歌としての自信を付けるために、この概念を今度はアイルランド側が積極的に使った、更にEUの一体化のためにフランスも使いだし、みたいな動きがあったようだ。
勉強になった。文学自身は好きではないが、こういう形で歴史的認識を保ちながら語られる文学史、というのは非常に面白い。


初期中世アイルランドの、キリスト教と結びついた文学作品として、同じ筆者による言語からの翻訳を紹介。

ケルトの聖書物語

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