一体どういうことだったのか段々分からなくなる

太平洋戦争が終わって60年以上が過ぎると、当時のことを覚えている人も多くなり、一体何が起こっていたのか分からなくなりつつある。「こうだったんだ」って教科書で知ったり、映画で知ったり、本を読んで知ったりしたことが、こうも簡単に「誤解を生むおそれがある(という言い方が激しく卑怯に聞こえる)」という理由で書き換えられてしまうと、何がなんだか分からなくなる。(だいたい歴史に「誤解」も「正解」もくそったれもないんだってば。)
教科書でしか歴史に触れない人たちは、それ以上の情報が入る余地もなく(あるいは入れる気もないのかも知れないが)、まさに「風化」が進んで元々何があったのか分からなくなってしまうまま放置する、というのでは、歴史を研究する人間のやってることは「しょせん虚学、それをやることにいったい何の意味があるの?」といわれてしまう現状が増えてしまうのもやむを得ないのかも知れない。だからしょうがない、として放置する気もないが、甘かろうと辛かろうと、人間がこれまで何を行ってきたか、何を考えてきたか、ということを大切にしないと、後悔先に立たず、ではすまされないことが起こり得る。


というのが以下のニュースを読んでの感想。

日本軍「強制」は修正=沖縄戦の集団自決−高校教科書の検定結果・文科省


3月30日17時1分配信 時事通信


 文部科学省は30日、主に高校2年生以上が来春から使用する教科書の検定結果を発表した。日本史で、太平洋戦争末期の沖縄戦の際、日本軍による強制で住民が集団自決したとする記述すべてに検定意見が付き、各教科書会社は「日本軍により」という部分を削ったり、「自決した住民もいた」という表現などに修正したりした。理科や数学では、学習指導要領の範囲を超える「発展的内容」が倍増した。
 沖縄戦の集団自決を扱ったのは6社8点。うち5社7点に「実態について誤解するおそれのある表現」と意見が付き、「日本軍に集団自決を強制された人もいた」が「集団自決に追い込まれた人々もいた」(清水書院)などに改められた。
 2005年度(主に高校1年生対象)は申請段階から今回意見が付けられたような記述がなかったが、04年度は「日本軍に…『集団自決』を強制されたりした」と記述した中学の歴史教科書が合格している。
 文科省は「以前から(命令や強制はなかったとする)反対説との間で争いがあり、軍の命令があったと断定するのは不適切で、今回から意見を付けた」と説明している。 


「日本軍に集団自決を強制された人もいた」=「集団自決に追い込まれた人々もいた」


ってことじゃないの? 一緒じゃん。言葉尻を捉えて軽くオブラートで包んでみました、みたいな感じじゃん。


ここにあった、「うつろな目をした”少女”実は日本兵に殺されないようにおかっぱ姿にしていた少年 1945.6.21具志頭 」という写真のこの説明も変えなきゃならなくなるのか?