Paxton, Frederick S. Christianizing Death. The Creation of a Ritual Process in Early Medieval Europe

Christianizing Death: The Creation of a Ritual Process in Early Medieval Europe

Christianizing Death: The Creation of a Ritual Process in Early Medieval Europe

去年の今頃買った本だよ・・・。
パクストンの『死のキリスト教化』について。まとめられれば。まとまんないかもしんないが(ということで長文注意)。


Introductionでは、History and Ritualと題して死にゆく者と死者への儀礼について、まず今流行の人類学の方法論を使った、大まかな説明から。人類学者Arnold Van Gennepの、The Rites of Passage (trans. Monila B. Vizedom and Gabrielle L. Caffee)による、いわゆるイニシエーション(通過儀礼)の3つの過程を借用。つまり、共同体からの分離、通過儀礼、共同体への復帰、を死の儀礼に当てはめて考える、というもの。更に、歴史学として中世初期、主としてメロヴィング期のフランク及びその周縁とその後のカロリング期の儀礼の統一化、という時代の儀礼を見るために、その主要な史料となる典礼書を使用することと、その研究史的解説。すなわち、各時代、各地に残る典礼書の関係性について軽く解説。で、本論に進む。


の前に、6世紀のメロヴィング期以前の、地中海地域、つまりローマの死の儀礼についてが第1章、The Mediterranean Background to the Sixth Century。
この章で重要なのは、死にゆく者と死者の儀礼としての塗油の儀式。そしてこれには二つの意味があったこと、病人の快癒のための塗油と、死者への塗油(=終油)。本来塗油には医学的意味合いが成されており、それが発展して死者、というよりも死にゆく者への塗油が成されるようになったということ。そしてその後、塗油を行われた者が亡くなった場合の葬儀について。それがOrdo defunctorumにまとめられており、そこに著者は、非常に楽天的な傾向を見る。死者は神によって、最後の審判後の復活まで、他の聖なる者たちと同じところに引き上げられ、彼らと共に復活することが明白に予期されている、としている。ちなみに最後の小題部分に1章のまとめが書いてあるので、これだけ読んでも流れがつかめる。論文形式として非常に明快で分かりやすい。しかもアメリカの本であるのに注が脚注形式で読みやすい*1


第2章は750年までの、つまりカロリングによる教会改革期以前の西ヨーロッパにおける儀礼の発展あるいは変化。Rites for the Sick, the Dying, and the Dead in the West, ca. 500-ca. 750: Crosscurrents and Innovations。ここで扱われるのはメロヴィング期のガリア、西ゴート圏のスペイン、そしてアイルランド
この章で問題となるのは、塗油と、それに先立つ「告解」に関して。当時の告解は人生において一度きり、しかも公開方式であったために、人々は死の直前まで告解を延期することが一般的となり、死者への儀礼の中に告解が含まれるようになったこと。そして塗油の意味合いが二つの地域で正反対に発達したこと。いかなる人間であれ、神父は死にゆく者の告解を拒否してはならないことと、塗油の二つの意味合い、つまり快癒と罪の許し、これらをバランスよく制定したのが、メロヴィング及び西ゴートへの影響力大であったアルルの司教カエサリウス。その後メロヴィング・フランクでは塗油の意味合いが罪の許し、すなわち肉体ではなく魂の快癒に焦点を置くようになり、更に楽天的傾向が薄れ、死者のための贖罪祈祷が、葬儀後に登場する。西ゴートでは塗油は肉体の快癒、という方向に強まり、死の床での告解のための儀礼が詳細に形式化される。一方アイルランドでは、塗油は罪の許しのためという方向に傾斜し、病者への塗油はそのまま死への準備のための塗油となる。更に、アイルランドでは告解は個人的、複数回可能であったため、死の床での告解についての記述はない。そしてアイルランドとフランクの文化交流によって、メロヴィング・フランクでの上記の傾向は、両者の影響のし合い(著者はどちらからどちらへ、という文化の流れを否定的に見る)から来ているものとしている。
アイルランドについては一つ問題が。まず二次文献が70年代以前のものばかり。更に、そのアイルランド全土への影響について議論の多いCélí Déの史料に多くを依存していること。ただこの部分については、自分のこれからの課題(修論で使うので資料だけは集めてある)なので、ここでの著者の論証への批評は避ける。*2


3章はシャルルマーニュによる本格的な教会改革直前まで。
The Beginnings of Ritual Consolidation in the Frankish Lands, ca. 740-800
前章で述べられていたように、死後すぐに魂が平安の地へ導かれるのではなく、途中で「煉獄」のような状態におかれる可能性がある、という考え方から、死後の贖罪祈祷が、初期にはその家族によって、そして次に「フラタニティ」的なシステムへと発展。これは始めは司教や修道院長たちのものであったが、徐々にその下層、司祭や平修道士にまで及んでいく。この「相互贖罪祈祷」というべきものは、「贈り物の贈与」が大きな意味を持っていた、特に北西ヨーロッパの社会的基盤が影響していた、とされる。この段階に来ると、死にゆく者による死の床での悔悛ではなく、その周りに集った者たちによる祈りが、死にゆく者の贖罪の中心的な儀礼となる。そしてアイルランドアングロ・サクソンの伝道師たちの影響で肉体の快癒ではなく魂の快癒という方向に傾斜していった病人、死にゆく者、死者への儀礼が、フランクの王ピピンなどによって推し進められていったとされる「キリスト教のローマ化」とどのように結合していったか、がこの章の主題となっている。そして検証の結果、ローマ化はそれほど強力な意味合いを持っておらす、これまでローカルで発展してきた上記の傾向に、ローマのOrdo defunctorumを「改変」する形で入れ込み、更に古代末期には見られなかった魂の快癒傾向=悔悛の強調が見られることが明らかとなった。ただし注意しなくてはならないのが、著者がこの章で2回ほど喚起を促した、「典礼に基づいた死者への儀礼はおそらく聖職者(修道士含む)の中に限定されていた」とされること。そして、シャルルマーニュの教会改革へと進む。つまり、平信徒までの拡大、という方向へ。


さてこのあたりになると、自分の研究対象からかなり離れてくるので、読みが甘くなってくる。第4章、New Rites for Old: Benedict of Aniane and Ritual Reform, 800-850では、カロリングの教会改革に大きな影響を与えたとされるアニアンのベネディクトゥス(ブノワ、にした方がいいのかもしれない)による、Gregorian sacramentariesの、フランクに適した形のaddittionをつけた典礼書の編纂を大きく扱う。彼は、これまでの流れで主要となってきていたフラタニティによる死者への祈祷が、さらに教会や修道院の日常の礼拝に浸透し、Liberi memorialesの作成が行われるようになってきた状況を敢えて無視し、よりローマ的な典礼に戻そうとしていたことが分かる。つまり、病気を死への準備段階とし、それにより病人への塗油が死の前の罪の許しを得るもの=終油の秘跡、というものから、肉体的回復を願うための塗油、としている。更に、罪とは、悪魔の誘惑によるものではなく、悪魔の誘惑に自ら陥ってしまう、すなわち自らの責任によるものと強調し、神・キリストを「審判者」として捉えることによって、より「司法的(jurisdictional)」な解釈を加え、西ゴートで発達した死の床での悔悛、告解の重要性を再び強調。ここにはカロリング「帝国」的思考、すなわち、royal courtにおける裁判での審判者と「被告」の形式が見て取れる。
ただし、この典礼にはその後、その解釈はおいておくとして、各地、各教会では彼の典礼の受容において、おのおので必要とされるもの、すなわちこれまでに発展してきた死者のための祈祷、そして肉体ではなく精神的な意味での癒しというものが、付け加えられたために、多くの変種の典礼書が残されることとなった、としている。最終章ではこのそれぞれの典礼の統合を網羅的に見ていくこととなる。


最終章である第5章(Synthesis and Dissemination: The Death Ritual in the Later Ninth Century)では、相反する二つの典礼、すなわち数隻感に渡ってスペインやアイルランド、そしてもちろんメロヴィング・フランクの文化の相互影響によって生まれてきた死に対する態度、より精神的な意味合いを強調する典礼と、カロリングの教会改革の基、新たに導入されたアニアンのベネティクトゥスによる典礼の、最終的な統合と、その伝播について検証されている。サンタマン修道院とロルシュ修道院のscriptoriumでは連続して、少しずつ改変された典礼が制作され来ており、特に前者においてはほぼ完全な形の典礼書が数点残されているので、それらを時代順に追ってその過程を追っていくのがこの章での検証方法。統合方法は、たとえばアニアンのベネティクトゥスの肉体的回復のための病者への塗油での詩歌賞揚を、その根本的意味では魂の救済、すなわち死への準備のための塗油、あるいは終油の儀礼に入れ込み、また場合によってはその後、健康を祈る詩歌を連檮し、死にゆく者の魂の救済を死の床に集った人々が祈祷、という形で進ませることによって、これまでに培われた様々な儀礼を、よりフランク的な形にする、といったものであった。これに、フラタニティ的祈祷関係がより社会の下部組織、すなわち平信徒たちまで広がり、後の祈祷兄弟盟約の萌芽は9世紀後半にはおよそ形作られていた、としている。また、病者、死にゆく者、死者への儀礼は、特にロルシュ修道院の史料で明らかなように、司牧活動のための教科書として使用されていたことから、この時期に平民へも少しずつ浸透し始めていったと考えられる、あるいは教会がその方向へ動き出したことを表している。


Conclusionは結論、というよりもこれまでの要約的なまとめであり、これを訳してしまった方が私のへたくそなまとめよりもマシだったのかも、と読みながら思った。著者はこの最後に、病気、死という人間生活の根幹の一つに対する儀礼が、9世紀後半になってようやくおおよそ一つの形に統合されたことを一つの例として、ラテン的西洋における、「ヨーロッパ文化」の誕生の時期、として稿を閉めているが、これにはかなりの程度で納得。ここから、いわゆる「アイルランド初期中世キリスト教の特異性」から、「ヨーロッパ文化形成前夜における一つの地域差としてのアイルランド初期中世キリスト教」と位置づけることが可能である、という示唆を与えられたと感じた。


本全般としては、その体裁は非常に良くできたもので、各章の終わりには必ずその章のまとめが付き、最後には本全体のまとめを、多少社会の状況と絡めながら展開するといった念の入れようで、非常に教科書的。また、典礼書を順次見ていく、という形で展開することから、historiographyの一つの好例でもあろう。ただし、私個人としては、これまで典礼関係は読んだことがほとんど無く、これからもできれば避けたい(苦笑)ところであるので、内容は非常に難しかった。しかし、英語の明解さは、悪文ブラウンの後に読んだものなので、真に楽であった。

*1:アメリカの出版物は末注が多い、というのは偏見だろうか?

*2:しかし、結局簡単な教会史のまとめはKathleen HughesのThe Church in Early Irish Society, 1966なのね。今ではいろいろな部分で修正が出されているというのに。まあそれでも超基本文献であることに変わりはないが。