大学改革とは?

遅まきながら、なんか変だと思っていたことが、今日多少どういうことなのか判明した。9月の学期最初の週に、アイルランド語科のオフィスに向かい、本年の授業のコマ割を確認しに行ったところ(わたしは歴史研究科所属であるが)、「今年は昨年までと同じレベルでの古アイルランド語の授業はできない」旨の張り紙。意味が分からなかった。
実はその直前、昨年まで、古アイルランド語で書かれた、アイルランド古法*1の基本中の基本であり、英訳はないがそのすばらしいエディションが刊行されている、Críth Gablachという、中世初期アイルランドの身分に関する法律の授業をしていた先生にばったり会い、「今年はもうここで教えないんだよ」と言われて、それは困った、今年こそいろいろ聞きたいことがあるのに、と思っていたところだった。その場では自分が困る、という程度でしか考えていなかったのだが。
現在通っている大学には、学生が発行している新聞(週刊)が二種類あるが、どちらも小さいながらもこの問題について扱っていることが分かった。すなわち、この問題というのは、大学側が学生数の減少を理由に、古アイルランド語の授業とそれを担当する教員の削減を本年度行った、ということである。確かに、古アイルランド語プロパーの生徒は非常に少ないようで、ここ数年で20人ほど、といったところのようである。今年3年生(この大学では学部生としては最終学年)で、古アイルランド語専門の学生は、授業数が半減、しかも最終的に「Celtic Studies」で学位を取れるのか、それとも「教養学士」としてなのか、そのあたりもはっきりしていないらしい。
さらに問題は、わたしのように中世アイルランド史を、歴史科で研究している者や、中世の考古学、フォークロア、中世文学といった、語学科に所属していない生徒、そしてかなり多くの留学生が、古アイルランド語を学びにこの大学にやってきている、という現状が大学側に無視されている、ということである。昨年わたしは古アイルランド語基礎クラスを含めて、5つの授業に参加させてもらったが、本年度は3年生の授業一つ(ただし週に2回行われる)。担当教授は現代アイルランド語も兼任であり、時間のやりくりが非常に厳しいようで、9月後半になってやっと授業時間が決まったほど。わたしが昨年度末にもしできれば、とお願いしたパレオグラフィーの授業は、うまくいけば後期に行えるかもしれない、といった状態。
この大学、University College Dublinはアイルランドではおそらく最大の規模を持つ大学である。わたしがここへの留学を決めたのは、まずわたしの研究に非常に近い研究をなさっている先生が歴史科にいらっしゃったことが最大の理由であるが、アイルランドへの留学の理由はその他に古アイルランド語を独学ではなく、プロパーの先生に学ぶことが大きかった(もう一つ小さな理由があって、それはコネ作り)。ところが、この国最大の高等教育機関では、アイルランドの第一公用語であるアイルランド語の、古典語(という言い方をしていいのか。いわゆる日本語で言うところの「古文」というやつ)を学ぶ機会を、生徒数の減少を理由に削ったのである。
確かに良く考えると昨年入学した時からおかしなことはあった。入学前に手に入れていた大学院の歴史研究科の授業予定には、中世初期アイルランド史研究では古アイルランド必修となっていたが、入学すると、ヨーロッパ中世史、という大きな枠組みになり、必修はラテン語となった。つまり、歴史科の学生で中世初期アイル&史を研究する者は強制的に、言語学の授業に、非公式に参加せざるを得なくなっていたのである。
昨年、大学は創設150年を迎え、大きな改革を行っていたことは、入学してしばらくして分かったことである。これは大学側だけの問題なのか、国の政策の一環なのか、恥ずかしながらそのところは分からない。しかしこのように自分に問題が降りかかってみて、デジャブを感じた。旧都立大学の大学「改革」、否、新大学「創設」問題である。ここでも生徒数の減少を理由に、高等教育機関であるからこその科目である、哲学と、文学に大ナタが振り下ろされた。


大学ってなんなんだろう。特に文系の学問は、大学にとってはもはや不要となりつつあるのだろうか。産業に役立つ人間を大量生産する場となりつつあるのだろうか。自分のように、「あなたが学んでいることは、これから先の社会に於いてどのような役に立つのか」と言われ、具体的な説明がうまくできない学問を学んでいる者*2は、大学という機関自身がその存在を疎ましく思うような存在なのだろうか(歴史学はこれから先の社会に於いて非常に重要であることは、ここで強調しておく。ただし、すぐさま目に見える形で現れないだけのこと。特に、今の日本に於いては、その研究分野がなんであれ、歴史という者が非常に重要となるのは明白である)。
なんだか怒りを通り越して悲しくなりながら、雨に打たれて自転車で学校から帰ってきた・・・。

*1:Early Irish Law;世俗法とか、古アイルランド法などと記述されてきたし、わたしもそのように記述してきたが、友人であり、特にこの法律の研究をしている友人の使用し始めたこの訳語の法が、しっくり来るような気がするので、ここでも使わせてもらう。ありがとう、うりぼうさん。

*2:これは単なるわたしの不徳の致すところなのかもしれないが