anime好き親子の日本珍道中

8月3日に書いた本、Wrong about Japanを読了。日本に帰って来ちゃうと読書時間がどーんと減ってしまう・・・。
考えていたよりえらく時間を掛けて読んでしまったので、全体的な感想がすでに書けない状態。ただ、読みながらなんとなくイライラしてしまったのは何でなんだろう? 著者の息子、チャーリーの、ネットで知り合いになり、彼らが日本滞在中によく会っていた日本人の少年、タケシが非常にイライラさせる人物、の様に書かれているのか、私がそう読み取ってしまっただけなのか分からないが、なんだか独善的で余計なお世話が多い気がした。
ここで紹介されているところで富野由悠季とのインタビューについては詳しいのでここでは省く。彼とのインタビューはほんの一部の章に過ぎないことは、読んで初めて知ったが。
著者はかなりまじめにアニメや漫画について取材しようとしているが、始めから感じていた違和感(著者自身はいろいろなところで「misunderstanding」と連発しているのだが)の原因は、彼が日本の、特にアニメを、海外での視聴者を意識して制作されていると考えている様な節があるからではないか、と思う。私はアニメについても、漫画についても、好きなものは観るし、読むが、好きでないものにはまったく興味を示さず、流しているという単なる娯楽としてしか考えていないので、実際にそれらを「研究」したり、探求している人たちにとっては興味深い内容なのかもしれないが、私にとってはあまりにまじめに考えすぎているところが、苛立たしく感じたところかもしれない。
日本のアニメへの影響、ということで著者はかなり幅広い人たちに会っている。その中、私がかなりショックを受けたのが、戦時中に学徒動員中の工場や、疎開先で空襲を受けた人の話。そして彼の、小泉首相に対する意見。

...This current prime minister is too young to know anything about the war, so this is why he feels he can visit the shrine of the army's war dead, and why he thinks we should change the constitution so Japan can have anrmy once again. (p. 87)

現在の首相は若すぎるために戦争について何も知らない。それが靖国神社に参拝しても良いと考えている理由であり、憲法を改正して軍隊をもう一度作ろうとしている理由である。

「戦争でなくなった国民を追悼して何が悪い」というのが小泉の考えの様だが、空襲や沖縄での米軍上陸戦でなくなった一般国民は、靖国神社なんかに祀られていないし、彼らだって未来の首相に追悼されるにしかるべき人々なのだ、ってことはかれの頭にはないのかもしれない。


話は飛ぶが、この本を読んで初めて「オタク」をちゃんと英語で説明できそうな気がした。日本人でない人たちに(あるいは日本で生活してその状況を知っている人たち以外)、オタクというと、かなり肯定的にとられていて、それが日本では違う、ということを説明するのが私はかなり苦手だったのだ。要は宮崎勤事件を情報として説明に組み込めばいいわけだったのだな(オタク=犯罪者、ということではなく、ほとんどの日本人のオタクのイメージが彼のイメージから発していて、非常にネガティブなイメージが生じている、ということだが)。そしてオタクというのはアニメや漫画のみならず、院生だってある意味オタクだ、というところまで話が出来て、相手を納得させられたら、大成功、という感じ。

"Otaku are the generations of kids raised to memorize volumes of contextless information for university entrance exams. Somewhere a glitch occurred and they are stuck in information mode, hoarding and exchanging infromation about the seemingly useless obsessions of otaku, such as the bra sizes of idols, to information about Levi's 501 jeans, as well as secrets about their mischievous break-ins to data-banks....Otakus are socially inept information junkies who rarely leave their homes, preferring to interface with the world via data-banks, modems, and faxes."(p. 62)(太字はブログ主)

ちなみにこれはJon Kessler and Timothy Blumの著作からの孫引きらしい。オタクについての定義は、きっと日本でもいろいろ成されているのだろうが、私はまったく知らないので上記の考え方が主流なのかそうでもないのかよく分からないが、大学受験における情報重視の勉強法がオタクの苗床、というのは、あまりにきれいな説明過ぎて逆に納得できないのだが(これはおそらく院生に特有の、悪い傾向だと思うが)、どうなのだろうか? だいたい興味のない人間にとっては、他人の趣味は意味のない情報の羅列に見えてしまう、ということはよくあるんじゃないか? また、わざと太字にしたところだが、これは一昔前のオタクの定義、に思えるのだが。ありきたりな定義じゃないか?
「いわゆる本当のニホン」として、歌舞伎とか能とか、神社・仏閣などを避けた旅行記(実際には歌舞伎を見にいって、日本の漫画の原典はこれだ、などと書かれているのだが)としていて、公衆浴場がどうしてもイヤな息子や、旅館の朝食に飽き飽きしてドーナツ屋を探したりするとことか、ウソっぽくないところは面白かったが、アニメや漫画ってそんなにまじめに捉えるもの? 単なる娯楽のひとつで良いんじゃないの? と思ってしまうのは、それが日常にあふれかえっているのが当たり前な日本人だから持つ感想なのだろうか?


結局何を読んでも気に入らないところを書き連ねてしまうのだな、私は。