The Wind that Shakes the Barley

今年度カンヌ映画祭パルム・ドール受賞作品を観た。舞台は1920〜21年のアイルランドはコーク、未だイギリスの支配下にある、未来ある若者の、ある事件をきっかけとしたアイルランド独立のための「活躍」とその結末の物語。
アイルランド史を学んでいる、とは言っても近・現代史にはまったく疎く、この舞台の1年後にとりあえずの独立を果たしたことぐらいしか、知らなかった。
内容はとても重く、苦しく、しかもその結末はかなり苦い。衝撃的だったのが、始めの独立運動の対象がイギリス人であったのに対し、その後、アイルランド人自身の間で、その意見の相違により争いが起こってしまうこと。お互いに独立を目指し協力し合う若者たちが、その考え方の違いにより最後には対立する。その違いも、まず平和を最優先するか、イギリスからの完全独立を優先させるか、ただその違いのみ。どちらにもそれぞれの理由があり、それぞれが正しいと思い、そして映画を観ている側からも、どちらに対してもその気持ちが分かる。このような状況はアイルランド各地で起こっただろうことが思い浮かべられた。


一緒に観に行ったのが(成り行きで)韓国人の友人であったが、彼女が始めのイギリス兵の横暴を見て、「韓国の歴史を思い出した」と観終わったあと行っていたが、私も彼女と行ったことによって、観劇中に同様の感想を持った。彼女はおそらく自国側の目で虐げられるアイルランド人を見、私は虐げる側を意識しながら、非常に複雑な思いでアイルランド人と、それを虐げるイギリス人を見ていた。そしてそのイギリス軍に所属していたアイルランド人、簡単な脅しで重要な情報を漏洩し、裏切り者として(同胞に)殺されるアイルランド人、その地域の責任者として暗殺されるイギリス人、それらをいちいち日本と韓国の、実際には良くは知らない歴史を意識しながら見ざるを得なかった。偶然とはいえ、彼女が一緒にこの映画を観てくれたことに本当に感謝した。そうでなければ単なる「アイルランドの悲劇」の映画、としてしか観られなかったであろうから。
イギリス側からはかなりの酷評があったらしいことを知っていたが、観終わってからそれらを確認してみようと思っていた。帰国前日に観たため、その後のテロ未遂の混乱もあって未だ確認していないが、ゆっくりとそれら読んでみてみようと思う。批判の一つとして「ここまで酷いものではなかった」とするものがあるようだが、これは日韓、日中の歴史問題にも関係するが、殴った者と、殴られた者の、同じ事件に対する思いは違う、ということを顧みなければならないと思う。
監督が英国人であることが、「酷評」に繋がっているのかもしれない、とうがった見方をしてしまうのも、現在の日本の状況から来る感想だ。そして現在も殴る者と殴られる者が明白に分かれた状況が、世界各地で起こっており、そしてそれによる歪みが、私の一時帰国にも影響したことを考えると、この映画を観たのがその直前となったのも不思議な偶然と言える。


日本での後悔は未定らしい。もったいない。コーク訛りはかな〜り聞きづらく、かなり分からない部分もあったので、出来れば字幕ありでもう一度観たい。