喧嘩両成敗の誕生

喧嘩両成敗の誕生 (講談社選書メチエ)

喧嘩両成敗の誕生 (講談社選書メチエ)

自力救済型社会(個人対個人、たいていはそこから集団対集団への紛争へ拡大する)における、「断罪」を、いかに公的権力が「裁判」の方向へ動かそうとしたか、という流れと、公的権力による法と、法慣習及び大衆の持っている感覚との兼ね合いの中、どのように公的権力が裁判権を確立していくのか、という話が中心かと。切腹はもともと抗議のためのもので、武士だけではなく町民どころか女もした、とか、子供が笑っただけで寺の坊主たちと神社の神主たちが殺し合いをした、とか、大名の下っ端の男が殺されただけで大名どころか管領や将軍まで出てくる大騒ぎになるとか、室町時代は過激だな。
だんだんと罪に対する罰が儀礼的になっていくのが面白い。下手人の代わりに「解死人」という人物が紛争相手のところに行って、本来はそれを殺して罪を「相殺」するはずだったのが、行くことに意味があるようになる、という話は大変興味深かった。
 基本的に体面を保つために「同じぐらい」の罰によって罪を相殺する、その感覚が世間一般に拡がっていることから、そこを大事にしつつ実際には大名裁判権の確立をめざしていったものであり、これまでいわれるように「日本に独特の(これは本当のようだが)、戦国時代に成立した紛争解決にまつわる法の最大のもの」という喧嘩両成敗の評価は高すぎる、と。簡単に調べてみるだけで、それは紛争解決のひとつの方策であり、その他にも多々あるもののうちであり、公権力は別に罪の判断をなげうったわけではなく、できるだけ裁判となるように働きかけた動きのひとつであった、という話。
中世から近世への転換期を喧嘩両成敗で語ることは可能である、というのはまたひとつ面白い話ではあった。エピローグだけど。そして現在では「玉虫色」にまで残っているとしたら、これは考え直さなければならない、と、ちゃんと「過去の歴史を振り返って現在の問題を再考すべき」という姿勢をとっているのはオチとしてすばらしい。