仏白旅行記・ベルギー編

パリに三泊したあと(泊めてくれたあげくに夕飯も食べさせてくれた友人に大感謝)、ベルギーに移動。
実はパリに到着した日にブリュッセル近くで30年ぶりだとかいう電車事故発生。
パリで最初に入った店のテレビで図で事故の説明しているのをチラリと見たが、まさか自分たちに関係するものとはまったく思わず、友人宅で友人のだんなさんに話を聞かされてびっくり。問題は場所。パリ=ブリュッセル間の高速鉄道(タリス)やユーロスターの使う路線だったため、翌日はタリス含めて全線キャンセル。
移動の前日の様子を聞いてもかなりの列車がキャンセル、さらに鉄道労働者の抗議ストのため、ベルギー国鉄自体も状況が分からない、とベルギー移動の前日に電話をしたブリュッセル留学中の友人談。


なんてこった!


ヨーロッパでは何が起こってもしょうがない、ということで別の場所に泊まっていた友人ととりあえず移動日である2月18日、ネットで予約したタリスに乗るためパリ北駅で待ち合わせ。


天候のみならずまたもや幸運にも予約した便は動くことが判明。あとのタリスは軒並みキャンセル。そのため私たちの予約していた座席におじさんが座って仕事をしていたが、よく分かっていなかった私たちは移動してもらった。ごめんなさい。
電車は到着時間よりも30分以上遅れ(事故付近では停止および徐行。事故の起きた駅には大きなカメラを構えた報道陣か事故調査関係者が)ブリュッセル南駅に到着。
さすが国際都市ブリュッセル、駅の切符売り場のお姉さんは流暢な英語で地下鉄の乗り方を教えてもらい無事にホテル到着、そこからグラン・プラスに出る。



その途中で立ち寄ったベギナージュの教会。マッチョな方のヨハネ(洗礼者)の名前が付く。
ベギンの女性たちは、質素に沈黙してレースを編んだりしながら密やかな生活をしている人たち、というイメージを覆す派手なベギナージュでショック。


グラン・プラスに行くがハデハデ金ぴかで(二度来たことあるのに記憶にない)興味を失う友人とわたし。
とりあえずお約束。

以前見たときは服を(しかも時期的二線と・パトリックスデイ近辺だったので緑色)着ていたのに今回は裸。なぜ?
レント期間中だから? けばだっていて染色していない修道服に荒縄の腰ひも、を勝手に妄想していたのでちょっとガッカリ。


翌日ブルージュへ日帰り旅行。留学中の友人が何度も行ってらっしゃるのについてきてくれた。感謝。
忙しかったので読み直さなかったことを到着後後悔。すみませんでした。
上級者用の(つまりはじめてブルージュに行く以上の人たち)ガイドブックとしては秀逸ですよ、ととりあえずほめておく。


ブルージュは運河の町。寒くて手ぶれが…。


ここでもベギナージュへ。
現在はベネディクト系の女子修道士の方々がお住まい。

こちらのベギナージュは想像の範囲内だった。女性だけの共同生活はそれでも大変だろうなぁ、と。


メムリンク美術館。
ここで自分の目の状態がひどいことを認識。
英語の説明文はオランダ語より小さいのはしょうがないが、よく見えないので近寄ってガラスで顔面を撃つ。
しかも聖遺物の保護ガラス。いろいろショック。


鐘楼へ向かってさらに進む。


ここまでは「ベルギーの歴史はあるが現在では小さな村」的雰囲気を楽しんだ(鐘楼には時間が間に合わず上れなかったが、きっと筋肉痛になったであろうから結果オーライ)。
が、鐘楼の先のマルクト広場で衝撃。
これぞフランドル都市。小さな村言ってごめんなさい。



罰が当たったのか、こちらも時間切れで中に入れず。キリストの血が見れると思ったのに。
聖血礼拝堂。


再び鐘楼。この都市の鐘楼はギルドによる建設だそうだ。勝手に都市行政の手によるものだと思っていた。

かつてはこのように高い塔がいろいろなところに、そしてさまざまな都市に林立していたのかぁ、と感慨にふけった、
というのはウソでそんな余裕がない位寒かった。


20日ブリュッセル内の散策に予定変更。
王立美術館を回っているうちにかなり疲れる。
そのため近くの教会を数軒回ることにした。
ノートルダム・デュ・サブロン教会。


ノートルダム・ド・ラ・シャペル教会。


ノートルダム大好きだな、大陸は。
えーいこのマザコンどもめ(ノートルダムは「我らが母」の意味。母はもちろん聖母)。


このあとチョコ買って、ぼったくりレストラン街イロ・サクレで友人が「絶対ぼったくらない」というレストラン「シェ・レオン」で「ベルギー鍋」そっくりな料理(に大量のフライドポテト)を頂いて、ベルギー終了。
英語が通じるってさいこー!


ちなみに帰りのタリスは予約した電車はキャンセル。
ヨーロッパの鉄道がそんなにさっさと復旧するわけがない、とふんで早めに駅に着いたので一つ早い電車に乗る。
ここで行きの電車で予約した席におじさんが座っていた件を了承。
駅の説明のお姉さんに「適当な場所に座っちゃって」と言われたのだが、そういうことだったのだ。
というわけで私たちも適当な席に座った。あとから文句言われなくてよかった。
結局パリに着いたのは乗るはずの一つ遅い電車の到着時間とそれほど違いがなかった。


ちなみにブリュッセルで二泊したホテルはすばらしかった、朝食が。
寂しいコンチネンタル風ではなく、アイリッシュブレックファーストなみのものも選べる(トーストはないが)。
Hotel Queen Anne
なぜ英語なのだろうか、とか、初っぱなにエレベータで問題発生して、廊下を掃除中のおばさんににっこり「Don't hurry」といわれて恥ずかしかったぜ、とか、友人がホテルをチェックアウトして出ようとしたところ、客のおばさんに「このホテルはイイ?」と聞かれたり、洗面にはシャンプーはあるけどリンスはない(大陸のホテルってそういうところが多いらしい。ちなみにアイルランドだとそんなものすらない)とかいろいろあったけど。


翌日のパリは写真をほとんどとらず、旅行はベルギーで終わったに近かった。
お世話になった友人方、ありがとう。一緒に行ってくれた友人、ありがとう。
友人も留学経験者だったので、行動を共にしてとっても楽でした。