レヴィ=ストロース入門

レヴィ=ストロース入門 (ちくま新書)

レヴィ=ストロース入門 (ちくま新書)

第1章はデリダ批判、終わりにはサルトル批判。他者の思想を批判することでしかレヴィ=ストロースの思想を表現できないように感じたが、これは始めと〆の部分としては方法論としてどうなんだろう? 付け足しとして「こういう批判があるがこれに対してレヴィ=ストロースはこう返した」とするならまだしも、始めっから「仮想的」を置いているとは、一昔前の自衛隊ですか、と。作者がレヴィ=ストロースが大好きなことだけはよく分かったが、新書だから仕方ないんだろうか。
第2章の構造主義の意味と、第3章の婚姻関係については大まかに分かっていた通りであったので読みやすかった。第4章のプリコラージュのあたりで昔懐かしい(自分の人生にとっての)言語学シニフィアンとかシニフィエの用語が出てきて、言いたいことは大体分かったが細かいところがよく分からず。第5章の神話に関してはまったく「共感」できなかった。批判者が出るのがよく分かる。婚姻関係のような親族(すなわち社会的)システムと、神話のようなある種の「意識(精神世界)」が関わるものを同じように分節化して構造を探る、というのは学問としてどうなのか、歴史畑の人間としては否定的にしか受け取れなかった。「神話学」自体私にとっては相当うまくやらないと学問として成立しないものじゃないかと思っているものであるし。それとも神話と宗教を重ねて考えているからいけないんだろうか。どっちにしろ私にはフロイト的と言うよりもユングっぽくてなんか微妙な気分になった。
第2次世界大戦下におけるユダヤ人迫害とナチスによるその大量虐殺の、ユダヤ人であったレヴィ=ストローストへの様々な意味での影響力については、非常におもしろい部分だった。彼がそれ(ナチスの悪行という事実)についてどのように考えていたかは分からないが、西洋中心主義に対する批判と、他文化へ自らを啓いていくという態度による、哲学から文化人類学への転向、そしてアメリカ亡命時代の構造言語学と数学との出会いによる構造人類学の発展、という流れは運命すら感じる。ただ、あまりにも西欧中心主義から遠ざかろう、としているように読める書かれ方によって、それ自体西洋中心主義に育った人間であることを強調されているようでもあった。
歴史学は西洋的な学問過ぎてちょっとね、と非難されているようでもあったこともちょっとね。