る〜る〜る〜

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)

キツネにだまされた、という話は1965年を境に新しいものは出てこず、これはいったいどういうことだろう、をネタにして「歴史哲学とはなんぞや」、の説明をしたもの。だからなぜか、には明確な答えは出されておらず、複数の「説」を紹介しただけ。そのうちのどれが正しいか、ということは問題ではないし、それらのいくつかの組み合わせの可能性もあるし、全てが絡んでいるかもしれないし、あるいは他の理由もあるかもしれない。ポイントはそこではないのだ。
最後三分の二はキツネ話よりも、「正史」とはいったい、正しい歴史っていうのはあるのか、という問題が語られている。人間が、ある時代、ある文化、ある社会の人間である限り、その人物が研究する歴史には、すなわち歴史というものは、人間の主観から逃れうるものではなく、極論を言ってしまえば「客観的歴史」なんてものはないのだ、という、現在歴史学をやっていれば当たり前といえば当たり前だが、そうでない人にとっては「え〜っ」と思われるかもしれない(著者の書き方的にはそう思われる)ことが語られている。ここが本書のポイント。表象としての歴史。これが、ショーペンハウエルを代表とする哲学的思弁から来ている(直接的とはいわなくても影響は大と思う)ことに目から鱗。噂には聞いていたが、面白そう、ショーペンハウエル(ダブリンにいたこともある人だしね)。
皇国史観とか自虐史観とか、ちゃんちゃらおかしいね、と。歴史学する人は読んだ方がよいと思う本。その研究対象の洋の東西を問わず。


キツネにだまされる能力を失って久しい(正直言うとそうでもないんだが)時代に生まれてしまったのがちょっと残念。


そういえばここで語られて思い出した話が、なぜタヌキは四国にいないか、という話だ。弘法大師が追い払った、などという理由があったはずだが、今思えば、なぜアイルランドに蛇はないのか、それは守護聖人聖パトリックが追い払ったからだ、という話と似ているし、思い返せばタヌキ話は漫画で得た知識であったのだ。佐藤史生の「まるたの女」、収録は

魔術師さがし (PFビッグコミックス)

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なんだが正規では手に入れられない残念さ。