Peter Tremayne, Absolution by Murder(小姑的批評)

Absolution by Murder (Sister Fidelma)

Absolution by Murder (Sister Fidelma)

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「殺人による赦罪」といったところか? でも意味分かんない。
ピーター・トレメインの「ケルティック・ミステリー(笑)、シスター・フィデルマ・シリーズ」の1巻目の本書を読了、したのは12日の夜中のことだった。ミステリーものは実はあまり読み慣れてなく、中学時代にエラリー・クイン・シリーズにはまって以来、あとはテレビの2時間ドラマでサスペンスを観る、程度の人間なので、ミステリーとしての出来は云々できないが、この時代設定で、この人が、こんな現代的な理由で3人も殺したのかーーー、おお〜〜〜い! という読後感を持った。*1
時代は7世紀、主人公は高貴な一族出身で、聖ブリジットが創設したキルデア修道院の若き修道女にして、タラで「弁護士(?advocate)」をしての教育を受けたフィデルマ。彼女はまさに当時アイルランドノーサンブリア(及びブリテン島全体にも影響)の教会で問題となった「イースター論争」の決着をつける教会会議が行われたウィットビー修道院で発生した殺人事件を、サクソン人修道士と協力して解決する」という話。というわけで、私の研究している時代も場所もほぼピッタリな内容、っぽいので読んでみたが・・・。
前半分に至るまで、のめり込めないことこの上ない。主な理由は二つ。まずは当の主人公、フィデルマが高慢ちきの短気な女で気に入らない。二つ目は、もうなんだか「本当かよ」と思うことだらけ。挙げたらきりはないが、ここは卵とはいえ専門家、突っ込めるところは突っ込んでみよう、ということで、歴史的なことにのみ突っ込みを入れることにした。以下、まずはもにょった問題点を羅列する。歴史的なことについては興味がない人は、読まない方がいいかもしれない。ただ、ちょっと「キケン」な感じがしたのは、翻訳版なのでブログ主が読んだホントは違うのだが、アマゾン・ジャパンの書評で、

ともかく中世初期のアイルランドが、こんなにも法制度が整っていて、女性が活き活きと活躍できる世界だったとは驚き。

と素直に書かれると「ちょっと待った〜〜〜」と言いたくなってしまうのが、この時代をやっている人間の性なのさ、ということで。確かに法制度は整ってはいたが、現代的に捉えてもらっても困るし、女性が活き活き、というのも、ちょっと、いや、えーと、という感じで。
でも、「修道士カドフェル」シリーズや、『薔薇の名前』が好きだったり、初期中世に興味がある人ならば、面白いだろう。あまりにも違う世界観なので、ファンタジー風味のミステリーの趣があるだろうし、主人公もややツンデレの傾向があり、修道女だから少々微妙ではあるが、相方のサクソン人修道士との淡い「ラブ」も、今後の展開としてはあり得そうな感じもわずかにするし。
ちなみに、10月に日本語版が初登場。なぜかシリーズ5冊目からだが、1冊目は結構宗教色が強く、神学的要素もある(実際にはほとんど無いのだが、内容的には)し、当のアイルランド人でさえ学校で習ったかもしれないけど、なんとなくしか覚えていないような歴史的・宗教的事件が本筋の流れになっているので、日本人には受けないだろう、ということで、1冊目から始めなかったであろうことは、想像に易い。ちなみに翻訳版の次作は3作目の Suffer Little Children になる模様。


問題・疑問点。

  1. マンスター王族の一つ、Eoganachta出身で、そことの繋がりが大きいエムリー修道院にいた修道女が、いくら名高い修道女だからといってなにゆえキルデアの修道院長になれるのですか?
  2. 「サクソンの王国はいくつもに分かれていて常に衝突し合い、戦争し合っていて、野蛮で血生臭い」とサクソンを馬鹿にするフィデルマですが、アイルランドもまったく同様なんですがなんでそのあたりで「アイルランドマンセー」できるのですか?
  3. 2と絡む問題で、サクソンは最高権力が確立していなく、法律体系も無茶苦茶で、非合理的で非道い、とフィデルマはサクソンに嫌悪を抱き、それに対してアイルランドはタラの王が最高権力者として君臨し、全土に法律を行き渡らせたから平和で文明的、としているが、タラの王=アイルランドの王、というのは単なる称号でしかも全員がそう名乗ったわけでもなく、実態は単なる名称に過ぎない、というのは歴史学上の常識なんですが?
  4. エムリー出身の件の修道院長が、ウィットビーでイースター算定方式を含むアイルランドの教会の伝統を擁護する、論客として登場するのだが、エムリーを含むアイルランド南部は、ウィットビーの数十年前にローマ方式を取り入れているはずなんですが?
  5. 王位継承について、サクソンでは長子相続、アイルランドではその能力に見合ったものが相続、だからサクソンではどんなに非道いヤツでも(小説でも王の長子が陰謀を企てている)王になってしまうので、なかなか平和にならない、なんて野蛮な国! とフィデルマが怒っているのだが、本当ですか?
  6. フィデルマの法律家としてのタイトル、dálaigh of the Brehon courts of Irelandのanruthのレベルっていうのは一体なに? そもそも、女性が成れるのものか?
  7. ウィットビー教会会議の賑わいをかぎつけて、修道院周辺に市が開かれるが、そこで奴隷が売り買いされているのを観てフィデルマが「おかしい」と言っていやがっているが、アイルランドには奴隷はいませんでしたっけ? 聖ブリジットのママが奴隷なんですけど・・・。
  8. 「アーマーの大司教」というのが出てくるのだが、もしいるとしたら、勝手に名乗っているだけで、「全アイルランドの裁地権」を主張し合うキルデアの修道女としては、軽々しく「大司教」なんて言っちゃまずいのではないでしょうか?


考察
の前に。ひょっとしたら突っ込みどころ満載かもしれない、「International Sister Fidelma Society」というサイトがある。しかし、そこのちっこい字を読んで、いちいち突っ込むのは今のところ時間の無駄だし、そこまで噛みつかんでもいいだろう、ということで今回はスルー。


1について。アイルランド修道院教会の修道院長の決め方には一定のルールがあり、以下の集団の中から、適切な者が選ばれる。つまり、1のグループの中に修道院長に適切な者がいた場合はその者を、いなければ次に2の集団の中から、それでもいなければ3の集団から、という形で選ばれる。

  1. 修道院教会創設者である聖人の一族
  2. 修道院教会が創設された土地を所有する一族
  3. 修道院教会のfamilia(修道士)*2
  4. 修道院教会(つまり問題の修道院教会を支配している修道院教会)のfamilia
  5. 修道院教会(上の逆の関係の修道院教会)のfamilia
  6. 同じ司教区のfamilia
  7. 各地を移動する優れた聖職者*3

キルデアは当時アイルランドを代表する大修道院の一つであり、「聖ブリジット伝」にはキルデアが位置するレンスターの王の墓がキルデアに埋葬された、という記述があることからも、歴史的にその修道院長がレンスター王族から多く選出されていることからも、レンスター王権と繋がりの深い修道院であることは明らかであり、マンスター王家の血を引く女性を、いくら「素晴らしい修道女として高名」であったとしても、かなりの確立であり得ない、というのが私の見解。これはレンスターの王権を担えるいくつかの王族*4から、異論が出ないはずはない。敢えて無理矢理に理由をつけるとしたら、キルデアは双子修道院(男子修道院と女子修道院が共にある修道院)で、男子修道院長の方が、女子修道院長よりも権力が大きかったので、女子修道院長に関しては政治的にはお飾り的要素だったから、といえなくもない。*5


2について。年代記をちょっとでも見れば明らかだが、とりあえず各地で戦争しまくりである。今のMeath県(County)を中心とした南Uí Néil王権と、レンスター王権の間の戦争は数知れず。というわけで、サクソン諸王国を「野蛮・血生臭い」と非難するのは的はずれ、としか言いようがない。


3について。タラ(Tara)の王は確かにある種の伝説的な王としてのタイトルであり、当時のアイルランド人達にとっても何らかの重要な意味を持っていたことは明らかであるが、考古学的には7世紀にはすでにタラは現在見られるようなただの丘だった可能性が高い。つまり、王権の座する何らかの場所(site)があったわけではなかったようで、全くの「タイトル」としての意味しかなかった。そして年代記には時に、タラの王=全アイルランドの王、という記述があるが、実際にはアイルランドは8世紀以降五つの州(province)に分かれ、タラのある、上述のMeath県を中心とした地域Bregaは、これら五つのうちの一つであり、他の四つの州に対しての至上権はなかったのである。ただ、以下は私の勝手な推測なのだが、この地域の王権がいち早く、provinceの王、覇王(High-King)によるHigh-Kingdomの可能性に注目し、積極的にそのシステムを確立しようとした可能性がある、と考えられる節が見られる。つまり、8世紀頃から急激に増える法律史料、系図史料、年代記、聖人伝、大修道院と共同で発する法律、と言った、政治的・宗教的組織に重要なものの「文書化」の中心の一つがここであり、おそらく初めであると考えられるからである。が、だからこそ逆説的に「タラの王=アイルランドの王」という記述が、「権利を主張する」という意味で書かれた、文字上のタイトルに過ぎない、とも言えるであろう。ともかく、そういうことで、タラ王権と接するレンスターの修道女が、「タラ王はアイルランドの王」などと言ってしまうのは、政治状況的にもおかしい、と言える。


4について。イースター論争は実はよく分かっていないのだが(とりあえず数字の羅列で途中で頭痛くなる議論が延々と続くので)、一般的に言われているのは、アイルランド全体がいわゆる「ケルト式」イースター算定方を取っていたわけではない、ということ。問題になるのは、日にちの決まっていない祝日であるイースターが、時としてユダヤ教の過ぎ越の祭りと同じ日になってしまう算定方式があり、アイルランドの北部はこれを採用していた、ということ。これに対して、(というかおそらく敢えてそうならないような算定方法に変えた)ローマ式は、現在と同じく(計算式はよく分からないが、単純に言ってしまうと)春分の日を過ぎた最初の満月後の最初の日曜日がイースターである。アイルランドの南半分、少なくともマンスターでは、エムリーとキャシェルという二大修道院教会が中心となった教会会議で、この方式をウィットビー教会会議の30年ほど前に受容した、という旨が記録として残っている。また、この記録には教会会議に参加した修道院教会のリストが残っているが、ここにキルデアの名前はないが、アーマーに対する意味で、キルデアがこちら側ではなかったか、という説もあったりする。小説としては、アイルランド国内の地域性まで出していたら話の筋として煩雑になるだろうから、ということで無視したとも言えるが、実際のところは、マンスター王族出身で、元はエムリーの修道女であった、キルデアの修道院長が「ケルト式」側の論客である、というのはかなり変な感じ。


5について。アングロ・サクソンイングランド史に詳しい人に聞きたい。自分で調べればいいのだろうけど、そこまでしたくないな。と、よく分からない状況で、勝手な推測をすると、「7世紀で、ゲルマン諸族の一つサクソン族が、すでに長子相続制度を確立していたのはあり得ん!」。補足すると、もし7世紀でサクソンで長子相続が確立しているとしたら、歴史上非常に異常に早く、もうちょっといろいろな文献で話題になっても良さそうだ。長子、というか一子への相続になったのはカール大帝の孫の次の世代からぐらいなのじゃないのか? ちなみにアイルランドの王権は、王族を構成する複数の一族の持ち回りなので、親から子へ、というのが続くと、「これは非常に珍しい」と書かれてしまうのだが。*6王権の相続=土地の相続にもなるわけで、一子相続はかなり後にならないとあり得ないのではないかと思う。初期中世では、少なくともアルプスより北のヨーロッパ地域では、土地=財産なので、土地が最重要であるし。(アイルランドの場合は少し異なるが、つまり土地=財産、ではないが、土地の相続が一族にとって重要であることに変わりはない)。


6について。anruth、正しくはánruthで、初期中世アイルランドの法律についての教科書的文献、A Guide to Early Irish Lawによれば「second grade of poet (fili)」つまり「詩人の二番目の階級」ということだ。一番上はollamと本文中に書かれていて、これは一番目の階級になるのだが、こういうカテゴリー分けはいろいろな「職業」で使われていて、審判人(judge=brithem*7)・詩人・法律家・歴史家・王・大工・司教などである。ちなみに、詩人というのはいわゆる詩(しかも王を賞賛するかあるいは風刺する目的で作られることが多い)を作る人、というだけでなく、アイルランドの場合は歩く法律書、というか、判例を詩の形し、さらにそれを暗記し、必要な時に口頭にするもので、審判人が裁判で判決を下す際の基準を示す人でもあり、ある種の特権階級の者である。詩人のollamに匹敵する身分は、王と司教である。なお、聖職者と詩人の階級には類似性があり、それぞれ7つの身分に分けられるが、おそらくこれは聖職者の身分から派生して、キリスト教の影響下で詩人にも当てはめられた数であろう。そしてdálaighである。古アイルランド語の辞書でそれっぽいのはdálaigeで、前者のスペルはおそらく中期アイルランド以降のものと思われる。*8意味は、pleaderとなっていてすなわち「弁護人」、なのだが、辞書に類例は1件しか載っておらず、中世初期アイルランドではこの名の職業は無かったか、あったとしても非常にまれな使用に限られていたように思われる。それ以降についてはちょっと分からない。この時代で、弁護を行うものは、aigneという名称が一般的である。女性が成れるか、については、おそらく異例になるが、可能の範囲内であったようである。女性詩人については法律にいくつか言及があり、父親が詩人であり、なおかつ息子がいなかった場合と、あるいは詩人としての才能が小さい頃から認められた娘の場合、二つに限って女性が詩人になることができたようである。ということで、名称はなんであれ、同じ機能を持った職業があったことは確実である。


7について。アイルランドには奴隷はいたので、おかしい、としかいいようがない。そういえばアイルランド守護聖人、パトリックも奴隷としてブリテン島からさらわれてきた経歴の持ち主ですな。戦争で負けたり、罪を犯してそれの賠償が支払いきれなければ、奴隷になる。ちなみに、10〜11世紀頃は、ダブリンはヨーロッパ内で最大の奴隷市場があり、売られていたのはアイルランド人が多かった、という話。


8,大司教については時代的にやや微妙だが、アイルランドで最初に書かれた聖人伝は聖ブリジット伝(670年頃)で、これの序にはキルデアの全アイルランドに対する裁地権の主張が書かれており、また、この少し後に書かれたパトリック伝にも、アーマーの同様の主張が見られる。おそらく、8世紀に入ってアーマーの優位が確定となり、キルデアは一地域、レンスターに対する裁地権を認められた、とするのがおおよその説で、ウィットビーの頃はまだきっちりと確定しておらず、張り合っていた頃ではないかと考えられる。アーマーが「大司教」というか、アイルランド最大の大修道院と考えられるようになるのは、9世紀になってから、と思われるので、「アーマーの大司教」というのは時代的に少々合わない。ちなみに、ローマ式の完全な教会ヒエラルキー、つまり大司教(管区)→司教(管区)→司祭(・小教区)が確立するのは11世紀の聖マラキー以降。


すいません、やりすぎですね、これ。でも本人としてはもうちょっと楽しんで読めるのかな、と思ったのに、なんだかミステリーを読んでいるんだが(最後の3分の1は一応半身を知りたくてガンガン読んだが)、『神々の指紋』的まじめすぎる「歴史系トンデモ」本を読んでるんだか分からなくなってしまったもので。


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追記(17/12/2006)
本屋で後の巻をちょっと見たら、サクソン人修道士が、フィデルマの夫になっていた・・・。えーと・・・。

*1:以下ネタバレ          アイルランドで宗教教育を受けた、かつてノーサンブリアで戦争捕虜として数年を過ごしたピクト人の修道女が、教師の一人であったキルデアの修道院長(=女性)に「レズビアン的」愛を持ち、彼女が男性と結婚して修道院長を辞することを知って、嫉妬と絶望で殺人を犯した、というオチ。ギリシャ語が堪能なので、サッフォの名がレズビアン的な愛の説明としてチラリと出てきたりする、ちょっとステレオたいぷな解説が微妙すぎる。

*2:この場合、修道士だけなのか、教会領地民=俗人をも含むのかははっきりしない。使用されている語彙は後者を意味する者だが、後者よりもまず修道士から選任される方があり得るからである。また、7世紀のアイルランドに於いては、修道院長は必ずしも聖職者である必要はない

*3:peregrini。ラテン語本来の意味は「巡礼者」という意味だが、初期中世アイルランドに於いては「自分の生まれた故郷を離れて活動する聖職者、隠修士」の意。代表格は大陸に伝道に渡った聖コルンバヌス。

*4:アイルランドでは、一つのprovinceの王は、一つの家系から出るのではなく、先祖を同じくする複数の一族から出る。

*5:年代記から推測すると、7世紀ならまだ少なくともキルデアは、女子修道院長の権力は大きかったはず。

*6:アイルランドや他のゲルマン諸族の相続制は基本的にはみんなに分割、というもので、分かり易いのはカールの孫達の王権相続。カロリング王国を分割して、4人に相続させようとして、あとでゴタゴタ揉めた=ヴェルダン条約。結局その後、3分割され、現在の仏・独・伊になったのは世界史的に有名

*7:brithemが英語化したのがbrehon

*8:最後のghのスペルが完全に後のスペリング