大学学生住宅と夏のお客たち

現在私が滞在している大学の「寮」は、そういってしまった方が早いので「寮」という言葉を使っているが、現実にはStudent Residenceであって、その実情もふまえて敢えて訳語を付けるとしたら、「学生住宅」の方が当てはまるといってよい。あるいはキッチンとリビングルーム(場所によっては風呂も)を数人でシェアする「マンション」かもしれない。ここでは1年ごとに契約をしなければならず、仮に毎年契約するとしても、同じ部屋になるとは限らず、また、基本的に学期末には全員出なければならない。私自身がいるところは、ほぼ院生限定のもので、院生は8月に論文提出が義務づけられていることから、学期末後に別料金を払うと同じところに8月末まで滞在することが可能である。それでも、9月の1週間ほどは建物内のクリーニングのために一旦は出なければならず、所謂日本における学生寮とはかなり趣が違う。
大学には巨大な学生住宅群が建っていて、UCD Villageとも言われている。それぞれの住宅地には名前が付き、それぞれ1000人近くの学生が住んでいる。
さて、私がいる学生住宅のすぐ近くには、別名の、一般の学部生が暮らしていた学生住宅がある。学部生は学部によって論文を書くところと書かないところがあり、Artsと言われている、日本で言うところの文系の学部生は、およそ8000語の論文を書くことになっているらしいが、昨年そこを卒業した学生によると、「ただのエッセイ」と言うぐらいのものらしい。A4で30枚ぐらいか? 日本語にすると20枚にも満たないぐらいの文量なので(多分)、ちょっと長いぐらいのエッセイには違いない。ということで、そのような学部生は5月中にさっさと住宅を追い出され、現在はほとんど無人の状態である。
その無人の住宅地は夏は一般のAcommodationとして使用される。私も一度泊まったことがある。6月中は主に大学で開催されていた学会の参加者の宿泊場所となっていた。紙切れ持って、スーツケースを引っ張りながら、ウロウロしているお客さんを受付まで案内したりもした。そして本日、とうとう見てしまったのである、噂の夏のお客さんたちを。
それは、主にイタリアやスペインから来る、英語を「現地で生で勉強しよう」という、学校側が大量に送ってくる中高生たちである。噂には聞いていたが、バス1台でブーンとやってきて、わいわいと荷物を降ろしていた、お子ちゃまたちだ。これで、ダブリン一の観光地区、テンプル・バーのスペイン度・イタリア度がガーーっと上がるのだろうな(すでにかなり占拠されている状態だが。ここでダブリン人を見ることは、四川省で野生のパンダを見つけることに等しい)。あのあたりは夏に行くと、明らかに18歳以下だろう(アイルランドでは飲酒は18歳から)ラテンな言語を操る者どもが、通りにはみ出して大騒ぎする様子が見れるのだ(不思議なのは彼らがどうやってパブで酒をゲットするか、だが)。
友人のロシア人によると、このような子供たちは学校単位で語学学校に来るので、授業以外は母国語で話し、英語が全然身に付かないらしい。単なる遊びだな。いいな、親がお金を出してくれる子供たちは・・・(あっ、違う、そういうことが言いたい訳じゃないのだ。いや、でも古今東西留学というのは金がかかるわけで、ヨーロッパ中世にもお金を無心する手紙が書かれ、それが研究の材料にされちゃうわけだし。中国だともっと多そうだな。科挙なんてごっつい制度があったわけだから)。
そんなわけで、シャイで人見知りでただでさえ一般学生よりう〜〜〜んと年上の、東洋の島国から来た根暗留学生である私は、若くて元気で、友人たちと共に、親の監視下から離れて羽をのばしにやってきたラテンの若者を避けるようにコソコソ暮らしていくことになるのであった。