キルケニー

キルケニーという町に行った。観光半分、自分の用事半分。
ガイドブックによると「中世の中心都市」などと書いてある。まあ、都市かどうかはともかく。
レンスター*1王の救援要請で、ヘンリー2世が武力を持って平定、結局そこからじわじわとアイルランドのイギリス支配の歴史が始まるのだが、その立役者、ストロング・ボウという愛称のある、リチャード・フィッツジェラルド・ド・クレアがここに城を築いたことから、中世都市キルケニーが始まった、らしい。
ちなみにキルケニーってこんな感じ。
http://www.bamjam.net/Ireland/Kilkenny.html


で、城(しかも正面ではなく背面を撮った)。中は写真撮影禁止だったが、とりあえず外見は思いっきりノルマン様式で、寒々してる。中はおしゃれ。19世紀まで延々と手を加えられていたから。


キルケニーという町の名前は、元々St. Caniceが6世紀にこの地に修道院を作り、「カニスの教会」を表す古アイルランド語Cill Chainnigh*2から町の名前がきている。というわけで、彼が創設した修道院跡には現在はカテドラルが建っていて、雰囲気は中世、っぽいのであるが、アイルランドのその他の「歴史的」建造物の例に漏れず、クロムウェルによって破壊されたりなんだりで、ものとしてはその後に作り直されたもの。17世紀。中世か? 


何が素晴らしいかというと、ラウンド・タワーという、アイルランドの古い修道院教会に良くあった、丸い高い塔が、ほぼ完全に残っていること。これはおそらく礼拝の開始や時刻を告げる鐘を鳴らす塔として使われていて、更にヴァイキングが来た時に貴重なものを隠した、とされているが、後者については疑問を呈する研究者もいたりする。


ちょっと近づいてみる。


間近で見上げる。

更に更に、このラウンド・タワーは登れるのだ。それで登ったのだ。かなり怖かったのだ。塔上は気持ちよくて、キルケニーの町一望、更に遠くの山並みも見れる。
ところでこの「聖カニス大聖堂」、Churcu of Irelandである事が判明。結構がっかり。アイルランドではたいてい町の目玉にでかでかと建っている教会は、Church of Irelandだったりするわけで、観光客としてはどうってことはないが、地元に人はどう思っているのかちょっと気になる。ちなみに、アングリカンには司教やら助祭やら、司教区やらがあることをここで知る。本当にカトリックとどう違うのか小一時間・・・・。
さて、苦労して登り切ったところでなんと、デジカメのバッテリー終了。というわけで上からの見晴らしの写真はないが、まあ、こういうハプニングがまさに旅行。


キルケニーには13世紀以降の修道院が二つある。ドミニコ会フランシスコ会。両者とも町の中心となる道を挟んで100メートルほど離れて向かい合わせにある(こんなに近くて良いのか? 「客」の取り合いにならなかったのか?)。後者は時間がなくて寄らなかったが、どうも遺跡となってしまっているようだ。しかも、どうもビール工場に囲まれているように見える。道を歩いていると「St. Francis' Abbey Brewery」と書いてある文字が見える。修道院醸造所。これぞまさに中世。しかもビールというところがアイルランドらしい(イヤ、ドイツでもベルギーでもチェコでもそうなんだろうが)。


来年同じころまた行くと思うので、その時は今回のリベンジを(またあの急で狭い階段を登るのか・・・)

*1:アイルランドの東南部。今ではダブリンも入るが、12世紀には入っていたのかどうかよく分からない、中世初期にしか目がいっていない、イケナイ研究者

*2:cillが教会を表す。正確には「修道院」と言った方がいいのかもしれないが、中世初期のアイルランドは「修道院教会」といってもよいほど、両者の違いは明確ではない。ちなみに、cillはラテン語のcellaから派生していて、場合によっては「僧坊」と訳しちゃってもよいようなイメージ。かつては「庵」とされていたような気がするな・・・。