もう一回だけ

ああ、アン・ジョンファンは相変わらずいい男でした。ごちそうさまでした。
こちらより。http://www.pro-m.jp/sports/ahn/


最後にもう一回だけ。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/wcup/06germany/column/diary/200606/at00009459.htmlから。

(前略)ついでにいえば、本番のスタメンやシステムを事前に公表してしまう“透明性”、貢献度重視の選手選考、バックアッパーの層の薄さ、守備に関する細かい取り決めの選手への丸投げ、といった“ジーコイズム”と呼ばれるものについても、大会終了後にはあらためて精査する必要があるだろう。こうした思想や信条が、本当に世界と戦う上で、どれだけ有効だったのか。それを推し量る意味でも、このオーストラリア戦を含めたW杯の結果というものを、われわれは重く受け止める必要があるのではないか。
 もちろんジーコ体制下の4年間を、W杯の結果だけで問うことについての是非は、一方であるだろう。それに巷間(こうかん)で語られる「選手に自主性を植え付けた」とか「自由な発想による見ていて楽しいサッカーを実践した」といったポジティブな面も、決して全面否定できるものでもあるまい。

ここ1年近く日本にいなかったので、日本代表戦は見れてなかったのだが、本当に「選手の自主性」とか、「自由な発想」「見ていて楽しいサッカー」になったの? 私には文字通り「選手への丸投げ」にしか見えなかったんだけど、ジーコのサッカーって。監督経験ゼロの人を、監督として招聘、しかも代表監督として招聘してしまうその精神が、最初から信じられなかった。初めの1年目で、親善試合でガンガンボロ負けして早く監督変えてくれ、と何度祈ったことか。国内だとアントラーズ異常重視とか、海外組超贔屓とか、「これからは4バックだ」と言ったと思ったらあっという間に「トルシエの遺産」である3バックに戻ったりだとか、これまでずーーっとシステム重視で何とか世界レベルに向かってもそれほど恥ずかしくなかったのを、「想像力で」と言って結局システムらしいシステム作ってこなくて、やっぱり「トルシエの遺産」使ったりとか、若い選手をほとんど入れないとか、4年間でずーーーーーーーーーっと危険視されていた(されてなかったのかもしれないけど。少なくとも私はこれらが相当イヤだった)ものが、きれいに現れたオーストラリア戦だったので、かえってサッパリしたよ(別にトルシエ万歳、って訳じゃない。彼だっていろいろ問題はあったよね、メンバーほぼ固定とか)。
いない選手を言ってもしょうがないんだけど、阿部とか、松井とか、長谷部とか、連れてってやって欲しかったよ。松井なんて海外組なんだけどさぁ。


まあ、こんな事書いてる人なんてさらにいるだろうし、私なんかよりもっと詳しくしっかり書いてるんだろうから、もう書かないで、お勉強に戻ることにしよう。先週からまったく進んでないんだ、これが・・・。