吉野

第一の目的はここに来ること。

後醍醐天皇陵。
理想に燃えても時勢を読めなかった高貴な敗北者の墓はひっそりしていた。


それがらみとしては記念碑が、桜に囲まれて立っていた。





第2の目的はあまり期待していなかったが多少なりとも跡がみられないかと思っていたもの。それらしきもの発見。

天武天皇夢見の桜。
天武天皇時代かぁ、残念と思ったら、どうやら大海人皇子時代にこの桜を夢に見て壬申の乱で勝利したことを記念にして建てたお寺の境内である模様。




第3の目的はひっそりした空間を見て寂寥感に浸ろうと思ったところ。

吉野朝宮の跡。
後ろの建物は後から建った別物。もともと寺を利用して宮殿としていたそうだが、明治時代になってすべて取り払われ、何も残っていないのが現状。最後の最後まで可哀想な南朝





宮跡の崖下の景色。
当時もこれくらい豪勢に桜が咲いていたとすれば、それぐらいが慰め。



以下は桜、桜、桜。
おばちゃんが写っちゃったりコーヒーの旗がはためいているのも一興。











こんな場所では花の生け方も婆娑羅

後醍醐の菩提を弔う如意輪寺にて。




通りのお家の門前。このあたりの人たちが南朝を支えていた人たちの子孫かと思ったらちょっとしんみり。




上千本まで行ったがこれで翌日と翌々日の階段の上り下りが億劫になった。道は整っているが(=コンクリートが引いてある普通の道)、かなりの急坂のつづら折りを上っていると、全然どこにも近づいていないような気分になり、「ここで水分を摂ったら疲労感が増して登れなくなるにちがいない」という20年以上前の学生の部活ルールを勝手に適用してみた。
奥千本は更に軽く一山越えた先であり、だんだん上に登っていくから下千本、中千本、上千本って言うのね、きっとその上が奥千本ね、と思っていたが本当に「奥」であった。そんなところに庵を結んでいた西行に驚き。もっと京都に近いところにわざとらしく住んでいたと思っていた。
おすまし西行