宗教で読む戦国時代

宗教で読む戦国時代 (講談社選書メチエ)

宗教で読む戦国時代 (講談社選書メチエ)

最初に、キリスト教の宣教師たちによる日本の宗教観を描き出したところが非常に興味深かった。特に、その時代のそれも京都の民衆の、宗教に対する真摯でしかも深い理解にはかなり驚きを持った。
ただ、よくよく考えてみれば15、16世紀のヨーロッパでも人びとの宗教に対する姿勢を考えてみれば、驚くようなことでもなかったのだ。
著者の興味は、「宗教的な一揆」としてひとからげにされる「一向一揆」と島原の乱のその本質の違いを述べる、ということ。前者には宗教的な意味はほとんどなく、そこにあるのは教団としての政治的立場の安定を求める政治闘争の一つの形相であり、一向宗戦国大名(特に織田信長)という図式はまったく現れていない。そしてその時代のおおよそすべての人たち(つまりこのあたりで「日本人」としての認識が人びとの間に定着した、ということなのだろうか)に共通する、ある種の政教分離の立場。外面的には儒教的な状態を、つまり領主や守護大名に従い、内面的には自らが最も信じることのできる宗派を選んで信仰生活する、という姿勢。そしてその裏に大きくある「天道」思想は、著者が強調するまでもなく非常にキリスト教的で「も」ある。
ただ、読んでいてときに違和感を感じるのは、史料の問題か。この時代の日本史の史料の量やその中身に関しては全くの門外漢ではあるが、著者が目的としている部分の史料のみが引かれていて(紙幅の問題ももちろんあるだろう)、少しだけ恣意的な感じは否めなかった。


戦国時代に対する理解はかなり変わったことだけは事実。