周縁から見た中世日本

周縁から見た中世日本  日本の歴史14 (講談社学術文庫)

周縁から見た中世日本 日本の歴史14 (講談社学術文庫)

通勤のお伴。
三部構成で、最初は北奥州と蝦夷地、二つ目は琉球王国、最後は対馬・北九州と朝鮮、というもの。
北については史料よりも考古学資料が多く、それでも中央や南部家や、海峡を挟んだ両地においてある種の「王国」を築いた安藤家からの史料もつかって、そこが交易を中心として京都とも関わりを持ちつつ、独立した地域であった時代から奥州藤原家、南部家、蠣崎家から最終的に南部藩松前藩となって完全に日本(というか江戸幕府)内に組み込まれていくまでをおっていったもの。実質的には日本には組み込まれていなくても、京都の人たちにとっては日の本の北の端、と思われていた平安時代の話もあり、領土支配と交易関係のズレ、というものが興味深かった。また、同等の交易相手であったアイヌが次第に下に見られていって最終的には差別されていった流れも見えて、近世を見た、という感じだった。
琉球南北朝あたりから江戸時代初めまでのまさに中世に、群雄割拠から王国へ、そして最終的には薩摩の支配下に入るまでの時代であった。日本列島を中心に据えた地図で見れば南の端なのだが、中国と東南アジアも含めると、交易の流れの三角点の一角を占めている、という上でもっとも「周縁」を感じさせない場所。それでも日本とは文化的に共通点があり(特に言葉が)、しかも史料が漢文だけでなく日本語でも残っているところが興味深い。明時代の海禁政策の時流に乗って中間貿易を行い、それで経済的にも行政的にも一気に統一王国へと駆け上るさまはかなり面白かった。日本の中央も実は琉球は国外ととらえていたようで、琉球も明の柵封国の一つという認識を少なくとも政治的にはしており、更に奄美までもが琉球であった、ということを考えると現状の沖縄は本当に酷い状態だな、と思える。
対馬島の歴史的立ち位置の微妙さとその強みが主題の中心。そしてあのあたりの「民族」の無意味さも強烈。場所的に和冦も出てくるが、日本人が、とか朝鮮人(高麗・李王朝)が、とか中国人(元・明)が、といった枠組みがまったく無意味な海洋民の世界であった地域であった。この最後の部がもっとも「中央のとらえる辺境の人びと」という視点を持ち続けた、といえるが、まさに国境や国策を無視して交易をし婚姻関係を結び、移住し、海賊であったら密貿易をしたりという「まつろわぬ」人びとだったからこその視点とも言える。「歴史的に対馬は韓国だ」といわれてしまうのもある意味しょうがないのかな、と思われる場所でもある。対馬の人たちがどう考えているかは別として。しか市長選が最終的にはその情報を得る場所が対馬からとだけ、ということには驚いた。朝鮮半島という背後に巨大な帝国を控えた地域の独立性を保つ厳しさが垣間見えた。
中央があってこその辺境、周縁ではあるけれど、そこを中心に据えればその時点で「周縁」という単語がほとんど無意味になることが良く分かった。