仏白旅行記2・サン・ジェルマン・アン・レー編

三日目はあいにくの天候の中、RERのA線で西の最終駅、パリ郊外のサンジェルマン・アン・レーへ行く。完全に個人的趣味。
元は要塞。後にフランソワ1世が城に改築。その後忘れ去られていたこの城をルイ・ナポレオンが再建して考古学博物館にして現在に至る。多分、上層部分がフランソワ部分ではないかと思われるが、建築はとんと素人なのでただの想像。堀はから堀として健在。

考古学は旧石器時代早期(原人。ハイデルベルク人?)からメロヴィングまで。順調に打製石器磨製石器→青銅器→鉄器→ガロ・ローマンと来て、メロヴィング入った瞬間に一気に落ちる感じは想像通り。
青銅のトルクや金製の平たい三日月型のネックレスなど、ダブリンの博物館で見たものと同型なものも。文化の拡がりを感じた。


がらーんとしているが城の中庭。


遠景。霧雨にけぶる城。


景観的に。もともと城塞というのは川の片側の大地に立っていたこと、ということで。川は写真では写らなかったのは霧雨のせい。


博物館の道路を挟んで向かい側にはサン・ジェルマン教会があるのだが、名誉革命によって廃位され、後に現在も北アイルランドで行われるオレンジマーチの起源(多分。実はよく知らないアイルランド近代史)ともなったボイン川の戦いで敗北の後、フランスに亡命、サン・ジェルマン・アン・レーに暮らし、後に病没したジェームズ2世の墓がここにあった。知らずにいってびっくり。その作りは完全に「イギリス国王」としてのもの。それでもフランスの、パリの郊外の教会の、一区画にある、という時点でなんだか寂しさが伺われた。