古事記と日本書紀

複数の「古代」 (講談社現代新書)

複数の「古代」 (講談社現代新書)

古事記日本書紀の様々な相違点を、なぜ相違点があるのか、違いを考慮しつつどのような古代世界であったのか、という研究ではその二つの記述史料の性格を読み解くことなどできない(実際本文中に多々ある、外野からみてもかなり「闘争的」な論が進むのでかなりドキドキしたのだが)、それは記述史料の批判的研究ではあり得ない、という話。記述史料は、なにを目的に、なにを伝えようとその時代に書かれたかを考察しないといけない、という記述資料を扱った研究としてはあまりにも当然なお話を、日本の古典二つと、最後に万葉集をも扱って解説したもの。概説書としてはやや難しい感じがするのは、文体がわりと論文調であったりするところか。
ここでは、両者の描き出そうとする「古代」が違う、という話。それはタイトルからも明らかで、古事記は持統朝までを、日本古来の文化の強い古代とし(ものすごい粗いまとめになってしまった)、日本書紀は、持統朝までに、中国文化圏、すなわち文字文化=文明化の進んだ世界の一因としての社会体制がまとまった、という「古代」を「創作」する目的の違いがあったのだ、ということ。それ故に、後者では干支とそれにまつわる思想を取り入れ、そのために「神武天皇即位紀元前660年」ということになっているらしい。
更に、その両者から派生した様々な史料も扱って、その当時に描き出そうとした「古代」があるわけだから、一つのあり得た「古代」として集約して考える方向だけでは学問としては不十分だ、という意味で「複数」というタイトルになっている。
話の展開としては真に説得的だし、記述史料の多い研究分野に身を置く自分としては非常に面白かったが、日本の古代史を研究している人からするとどういう批判点が見受けられるのか、ということがちょっと知りたいなぁ。
しかし、漢文はサッパリ読めん。